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50年の内、5回ぐらいしか会っていないかも | |||
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2025年05月10日(土)「榎木孝明くんがやって来た」 3月に水彩画展の案内をもらって「たまには東京さ行くべえ」と真剣に考えていたのだが急なシフトが入って結局行けずじまいだった。共通の友人、茂山 寛くんが亡くなったのでその事の詳細も聞きたかった。茂山くんの死はわたしもショックだったが、榎木くんにとっては無二の親友だったから、きっとまだショックを引きずってるんだろうなあ、などと心配もしていたのだ。 そんな折、榎木くんから突然電話があって、顔を見たいから会いましょうよということになった。50年来の知りあいだが、まさか自宅まで会いにきてくれるなんて思いもよらなかった。有名な俳優さんだからなあ、恐縮至極。光陰矢の如し、会える内に会っておきましょうということだろうか、とも思った。 菓子やら寿司などつまんでいると、まあ昔話に花が咲く。焼酎で乾杯したかったが車なので諦めた。彼の記憶では「小林さんはとにかく変人で、アパートの部屋でゴキブリを飼っていて、それがなんと赤や黄色や青や緑のゴキブリで、さぞや珍しい種類なのだろうと凝視すると、なんとそれは小林さんが油絵具で羽を着色したゴキブリだった」というのだ。 わたし的にはまったく記憶が無い。半世紀をまたいだ彼の妄想である。もっとも5〜6匹吹き矢で射止めて壁に刺したまま1年ぐらい放置して眺めていたことはあるが、羽に着色するなんて貧乏なのに絵具がもったいないじゃん! 大学(ムサ美)も一緒だったので話題は尽きない。わたしも言い返した。「いい服着てさ、スカした奴だと当時は面白くは思ってなかったんだぜ!」ただのひがみと嫉妬である。 茂山くんの話になると、榎木くんもさすがに辛そうな顔になった。同年齢の大親友が69歳という若さで先立った訳だから悲しくない訳は無い。しかしそれは「死んだ」ということだけに焦点を当てるからであって、彼の送った人生そのものを考えると、それほど悲しいことではないような気もしてくるのだ。 渡辺謙とトムクルーズの「ラストサムライ」で最後に明治天皇がトムクルーズに「彼の死に様を話してくれ」と言うシーンがある。それに対してトムは「いえ、彼の生き様をお話ししましょう」と答えるのだ。人生は長さではない、質と濃度なのだ。 茂山くんの思い出を4時間半ぐらい語るうちに「幸せな人生」だったじゃないか、という気分になってきた。家族に囲まれて逝ったんだしネ。そして病には倒れたが、好きなことにずっと死ぬまで没頭出来た人生なんてそうそうあるものではない。いやいや、それ以上の人生は無いような気がする。 先立つ者もまた、まだ生きている我々悩める者たちに勇気のようなものを伝えようと必死なのかも知れない。それが務めと思っているのかも知れない。そう考えると心が安まる。 「会えて良かったです」とわたしは言った。榎木くんは少し笑って「良かった」と役者のように言って握手し、BMWに火を入れて走り去って行った。ずっとスカした奴でいて欲しいなあと思った。。 |
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小林 倫博 | ||||
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