おやっとさあでした

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2024年12月29日(日)「おやっとさあ」

「おやっとさあ」とは鹿児島弁で「お疲れ様」の意味である。この年の瀬になって訃報が2件続き、かなりショックを受けている。
 上の年賀状は、わたしの作文の中でも度々出てくる、中学2年の時の担任の篠崎真康(しのざきまさやす)先生のものだ。返事も出さずに不義理をしたが、5年前の
鹿児島行でお会いして飲んだ。あれが無かったら今後もずっと後悔したかもしれない。絵も音楽も先生の影響で始めたようなものだから、まあ感謝しか無い。
「F」というタイトルのエッセイを書いたが、自分で読み返しても涙が出てくる。今年の年賀状が届かなかったので心配はしていたのだが、癌だったそうだ。
 福岡にいる先生の教え子が、「篠崎真康先生」でWeb検索をし、わたしのホームページに辿り着き、訃報を知らせていただいた。お亡くなりになったのは今月の11日ぐらいのようだ。83歳、わたしとはほぼ一回りしか違わない。多感な時期に若い先生から多くの影響を受けることができて、わたしはラッキーだったと思う。こういう大人になりたい…と本気で思ったものなあ。


 
 茂山 寛(しげやま かん)君は、もうずーっと昔からの友人。武蔵野美大の1年後輩でもある。
 フェイスブックでずっと前から友達リクエストが来ているのは知っていたが、友達なのにわざわざ登録するというのも嫌で笑いながら無視していたのだった。鹿児島で絵画教室を開いていて、今や画伯である。
 フェイスブックは滅多に見ないのだが、最近はどんな活動をしてるのかなあと、茂山くんのページを覗いたのが昨夜だ。虫の知らせだったのか、そこには娘さんが代弁した訃報が載っていた。これはショックだった。
 リップサービスとは分かっていたが「いつか鹿児島で小林さんのコンサートを開くのが夢」なんて言ってくれていたのである。悪い気はしないよね。5年前の鹿児島行きの時に会うつもりだったのだが、都合がつかなかった。
 彼は恩人である。音楽を始めて拓郎ツアーやかぐや姫ツアーで全国を回っていたころ、武蔵野美大の課題作品が提出できなくて、ほとほと困った。で、ダメもとで彼にアトリエで提出用の絵をかいてくれるように頼んだのだ。断られると思ったが彼はそれを引き受けて、知っている人が一人も居ない1学年上のアトリエに行き、堂々と小林倫博の顔をして作品を提出したものさ。3回ぐらいは有ったような気がする。で、わたしは留年することも無く4年で卒業した。
 学歴詐称より悪罪のような気がするが、それより何より彼の度胸には恐れ入る。武蔵野美術大学に少林寺拳法部を作った男でもあるのだ。
 大病を過去に一度患ったのは知っていたが、今は元気にしているのだろうと思っていたのに。無くなったのは9月の頭頃、誰も教えてくれなかったというのが少しさみしい。わたしはつくづく冷たい人間だと思われているのかも知れない。

 茂山 寛でネット検索すると、作品がたくさん出てくるのでよかったら鑑賞してください。絵も上手いです。それにしても69歳は若すぎる。わたしにとって、故郷鹿児島がさらに遠くなった気がする。

 人生は長さじゃないからね、篠崎先生、茂山君、おやっとさあでした。わたしもあとちょっとでおやっとさあだ。もう十分である。