行け行け! 勝賢!
07年5月29日(火)「 行け行け!勝賢 」

 上司の息子さんがボクシングをやっているので、夕方から後楽園ホールに応援に行ってきた。「第70回 フレッシュボーイ」という4回戦ボーイだけの大会(?)に出場するからだ。4回戦とはいえ、ライセンスを持った立派なプロボクサーである。彼の階級はフェザー級(55.34Kg超〜57.15Kg)、名前は「洞平勝賢(ホラヒラ ショーケン)」という。まだ17歳の少年である。
 
 彼が高校を退学してプロの世界に行くかどうか悩み、ほんのちょっと荒れていた頃、その父親(上司)から「息子に会ってちょっと話を聞いてやってくれないか」と頼まれたことがある。「俺と話すとたいがいの若者はつぶしのきかない世界へ飛びこんで行くことになるが、それでもいいか」と念押しした上で会う日取りを決めた。説教くさいのはこっちも願い下げなので、カヌーで1日遊ぶことにしたのだが、ドタンバになってわたしが椎間板ヘルニアで入院してしまい会うことはかなわなかったのだ。彼もとても楽しみにしていたということを聞いていたので、わたし的には申し訳ない気持ちが強くて「ここはひとつ最大限のバックアップをせねば」とかなり意気込んでいるわけである。しかし、わたしにできるのはせいぜいその大声を活かした応援団長ぐらいしかない。

 全部で13試合が予定されていた。勝賢は7試合目である。「関係無い奴の試合なんか適当に観とこう、先は長いからなあ」と、わたしはデジカメのテストなどをしながらのんびりと構えていた。客の入りもまだ40%ぐらい。張りつめた雰囲気など微塵も感じられなかった。
 しかし、そんな状態なのに、第1試合は唐突に始まった。誰かの挨拶とか歌なんていうセレモニーはまったく無く、あまりにあっけないスタートである。いきなりリングにレフリーと選手2名が上がり2言3言のあとに、これまた唐突にゴングが鳴った…という感じだ。そして事件はその直後であった。
「青コーナーのお兄チャン〜、ガ・ン・バ・レ〜! 青がんばれ〜! 青勝つよ〜」
 通路を間にはさんだ右隣のオバチャンがけたたましく叫び始めたのだ。青・青・青と言っている。わたしは一瞬何が起きたのか分からず、少しあぶない人がいるのだな、と身構えたのだった。例えばだ、全員が息を押し殺して圧力に耐えている満員電車の中で「電車君がんばって走ってよ〜! 新幹線に負けるな〜!」と誰かが突然叫んだような感じ、と言えばわかってもらえるだろうか。ところがだ、回りの観客に緊張感は感じられなかったのだ。それどころかそのオバチャンに拍手さえ沸いている。楽しいものが始まったぞ……という雰囲気さえ漂っている。
「そうか、勝賢の熱烈なファンなんだな。有名な人なんだなあ。ちょっと恥ずかしいしうるさいけど心強いと言えば心強いなあ」
 わたしは150歩ほど譲ってほほえましい気分になり、そっと横のオバチャン見て卒倒しそうになった。紛れもなくそれは10分前に紹介されたばかりの女性であり、同時に上司の奥様であり、ほんのさっきまで小声でしゃべっていた勝賢の母親その人だったのである。彼女はゴングと同時に豹変するタイプらしかった。逆にいえばゴングの音は彼女の体内にアドレナリンを生成させるらしいのだった。
「ガンバレ〜、マケルナ〜、青、青〜。赤もガンバルよ〜!やっぱり青〜!」
 “奥さん奥さん!旗上げゲームじゃないんだから!” と思いつつも、わたしは反省した。若い頃から気取り屋で、ロックコンサートに行っても冷静を装って立ち上がらない。気分はノリノリなのに体が天の邪鬼。わたしは自分を恥じたね。そして決心した。「よし! 今日1日この人について行こう、応援団長はこの人に譲って自分はガヤに徹しようじゃないか!」

 大会は淡々と進んで行った。1試合が4ラウンドしか無いし、KOの試合もあるので進行は早い。奥様は4試合目ぐらいまで「青青赤赤」と元気に叫んでおられたが、どういう訳か急におとなしくなってしまった。どうやらさっきまでの声援はウォーミングアップだったようで、喉も暖まったので7番目の息子の試合までしばし休憩ということらしかった。意外とちゃっかりした奥さまである。
 すぐ横をKOされた選手が担架で運ばれていった。大事は無さそうだが意識はまだはっきりしていない。奥様は「いやだいやだ、アーいやだ」とか言っている。不安でいっぱいなのだろう、息子の試合がせまってくるごとに彼女はさらに静かになっていった。

「ショーケンーンッ! ショーケンーンッ! 行けーッ、ショーケンーンッ!」
 奥様は一気にアクセルを踏みこんだ。洞平勝賢の登場である。もちろんわたしもアクセル全開である。すでにオーバーヒート気味だが20分ぐらいならまだまだ声ももつだろう。破れかぶれである。
 上司と奥様ががんばってチケットを売ったのだろう、わたしたちの回りには勝賢の関係者がひと固まりに集まっていた。高校時代の同級生、近所の人たち、恩師、美容院のネエチャンたちなど約100人だ。勝賢が登場してそれぞれが精一杯声援を送ってはいたが今一つパワーに欠けていた。このままでは勝賢の耳に声援が届かない。戦っている最中ならなおさらだ。そしてわたしの役目が決まったのだった。変なオヤジと思われようが、奥様と同類と思われようが(失礼!)かまわない。ウェーブを起こすのだ。全員の声をひとつにまとめて大きな大きな“声の渦”を起こすのだ。
「ショーケン、ショーケン、ショーケン、ショーケン、ショーケン、ショーケン、ショーケン、ショーケン!」
 わたしは頭上で手拍子を打ちながら、おかまいなしに大声で暴走した。そして小さな雨粒が集まって小さな流れを作り、小さな流れが集まって次第に大きなうねりになってゆくように、その声援の渦は止まらなくなっていった。
「ショーケン、ショーケン、ショーケン、ショーケン、ショーケン、ショーケン、ショーケン、ショーケン!」
 怒涛のような声援を聞きながら、わたしは時々浮気をした。だってボクシングだってちゃんと見たいじゃないか。
「ワン・ツー、左へ回ってワン・ツーだ。……ショーケン、ショーケン!」
「ボディー、ボディー。下から上。ワン・ツー!……ショーケン、ショーケン!」
 ふと気付くと、奥様も“ショーケンコール”から離脱して叫んでいる。わたしが「ワン・ツー」というと「ワン・ツー、ワン・ツー」と言い、「左」というと「左、左」と言い、「ボディー」というと「ボディー、ボディー」とかならず2回くりかえして真似をする。どうやら奥様はあまりボクシング自体は知らないのかもしれなかった。すごい人である。今度から「忍者ハッタリくん」と呼ぶことにした。

 勝賢は4ラウンドを見事に戦い抜いた。途中で何度も相手を倒せそうな場面もあったが、無理な深追いは避けたようだった。今回は「勝ち」が欲しかったのだろう。誰もそのことは責められない。
 わたしは3対0の判定勝ちを確信し、立ちあがっていた。かくして、まさにその通りの結果が出た瞬間、奥様は奇声を発してわたしに抱きついてきた。わたしの腰はグギギと音を立て、不覚にもふらついてしまった。回りの人々が思い切り腹をかかえて笑っているのに気付いたが悪い気はぜんぜんしなかった。
 奥様はそのあとすぐに、リングから下りてきた勝賢に抱きつき、奇声をさらに発した。勝賢は……、微妙な年齢なのだろう、やや照れながらそれでも母親と抱き合い満面に笑みを浮かべた。やさしい17歳の少年の顔に戻っていた。要するにまだまだいい子なのである。

 プロボクシングはスポーツではない。格闘だ。やるかやられるかの世界であろうと思う。勝賢少年を見ているといろいろなことを考えてしまうが、本番になると豹変する母親の血を受けついでいることを思うと、案ずることもないのかもしれない。リングの上で飢えた鬼になればいいのだ。これで1勝1敗になった。ここからがスタートである。
 次の試合が7月に決まっている。おそらく最も緊張するであろう第1戦目であるらしい。7月12日の真夏の夜に、わたしはまた大声オヤジになるのだろう。そしてまた、上司の奥様をこの腕に抱きしめたいものだ。(なんちゃって)




             




mk
Yahoo!JapanGeocities topHelp!Me