偽物の餌なんか、絶対食わんもんね〜
06年7月4日(火)「 テポドンの予感 」

 昨日会った“ちびオイカワ”たちにもう一度会いたくなってしまった。会ったといっても釣った訳ではない。釣ったのは最初の一投の一匹だけである。後はさっぱりっだったのだ。半ボウズだ。いや、1本だけ毛の生えたハゲみたいなものである。わたしは一晩悩んだ挙げ句、解決につながるかも知れないある結論に達していた。
「ティペット(先糸)がまだ太いに違いない。毛バリは糸に結ばれているが、その糸も毛バリと一緒に表面張力で水面に浮いているのだ。糸が浮いた水面はわずかに歪んでいる。その歪みは光の屈折を生じ糸の存在を魚に知らしめることになる。もっと細くて軽い糸でなければならない……」という論理である。昨日は手持ちの一番細いやつ(0.4号)を使ったのだが、それでも見切られてしまった。強度は必要ない、相手はオイカワだ。江戸時代のタナゴ釣り師が競ってより細い女性の髪を求めたように、小物の釣りは糸の細さで決まる(おそらく)。
 午前11時を待つ。上州屋が開く時間である。鮎用の0.1号という糸を買う。髪の毛よりさらに細い。もっとも薄くなってきたわたしの髪とはどっこいどっこいかも知れない。15m巻きで¥3500、人生は浪費の積み重ねだ。

 虹マス狙いの釣り人でごったがえしているかと思いきや、静かな見沼用水であった。50mほど離れた所に1人先客がいた。わたしは昨日と同じ場所で竿をだす。天気がかなり危うい。空は暗く、所々に真っ黒な雲の塊がある。遠くから風に飛ばされてきたらしい大粒の雨滴が時折水面を叩いた。雨滴による無数の波紋はライズをかき消し、アメンボウが右往左往する。わたしは波紋と波紋の間を狙い、毛バリを振り込んだ。
 0.053mmの糸の威力は絶大だった。雨で水面が騒々しいので、かえって魚は警戒心を無くしたのだろうか、一投一匹である。昨日見たとき、水底でピカピカと腹を光らせていた様子から相当の数がいることは解っていたが、年に一回有るか無いかの快感である。50m先の釣り人がこっちを見ていないかどうかが気になる。見えていない筈はないのだが、無視しているようだった。しかしだ、あまりたてつづけに釣れると、これまたあまり面白くなくなってしまうののも事実で、食べれる魚ではないし(ほんとうはマリネなどにすると旨いらしい)、そこが漁とはまた違う。見せびらかす相手がいない釣りはつまらない。20匹ほど釣ると飽きてしまった。さらに不思議な心境……、釣り場が家に近すぎると「釣るぞー!」という“気合”を維持するのが難しいことに気が付いた。邪念が入るのだ。
「ア! オークション入札中のデジタル一眼レフ、終了は今日だった筈だけど何時だったっけ? ああ、腹減ったなあ、ソバ茹でて“てんこ盛りソバ”を食いてえなあ。あ! マルエツ(スーパー)でミョウガを買おう、汁(ツユ)にいれると旨いもんなあ……etc.」
 などと考えていると5m先の26番フライ(直径3mmぐらいしかない)は見えなくなってしまうのだ。わたしは竿をたたむことにした。
 と、その時、前方の釣り人の竿が音を立ててしなった。キュルキュルと竿が鳴いている。釣り師はチラとわたしの方を見て笑った(ような気がした)。わたしは平静を装ってゆっくりと道具をしまい、さらにゆっくりと時間をかけてプライドを用水路の中に捨てた。魚の正体を知らずしてその場を去ることはできないのだった。
 丸顔に金属フレームのメガネをかけたその釣り師はわたしが近づくにしたがって得意気な表情をあらわにしていった。歳はわたしと同じぐらいだろう、誰かに似ている。どこかで会ったことがあるような気にさせる顔だ。
 魚は“ニゴイ”だった。フライ(ウエットフライ:水中を泳がせるタイプ)でも釣れる魚だ。鯉の仲間だが、鯉より細身で口が尖っている。いわばロケット型の鯉だ。
「ニゴイじゃないですか?」
「…………」
「ニゴイがいるんですねえ? 荒川から上がってきてるんですかねえ」
「…………」
 いくつか話題を振ってみたがわたしの言葉は彼の心の波紋の間に届かなかったようだ。毛バリのキャスティングようにうまくはいかなかった。外国人かもしれない。わたしは少し寂しくなってその場を離れた。
 雨が突然猛烈に降り始めた。どこかで雨宿りをした方が賢明だなあと思いながらもヘルメットのシールドを左手でワイパーのように拭いながら走った。無愛想な釣り人の残した不愉快をかき消すようにわたしは歌った。
「ニゴイだ、お次〜は〜、ニゴイだよ〜、ロケット型のニゴイだよ〜、緑のマラブー(フライの種類)きれいだね〜、初めて折れそうなフライ竿」
 メロディーは“緑のそよかぜ”だ。ヘルメットの中は治外法権だった。人生の極意は“楽しい期待感”を持続させることだ。プール状態の道路をジャブジャブと楽しく走った。熱くなったエンジンに水がかかり急激に冷えたからだろうか、何度もエンストをした。それが昨日エンジンオイルに入れたEXL(イクセル)のせいなのではないかと不安がよぎったが、それでも雨の中で「ニゴイのそよ風」を歌い続けた。

 シャワーを浴びて体を暖めゴロリと横になる。手にオイカワの匂いが残っていたのか2匹の猫が代わるがわるわたしの手を嗅ぎにきてぺロと舐めた。ニゴイ用のフライを巻こうと思いながら記憶があるのはそこまで、わたしは眠りに落ちた。ニゴイが鉄腕アトムのようなロケットを背負って追いかけて来る夢を見た。ニゴイミサイルだ。途中で妻が起こそうとしたらしいが、わたしはそのまま朝までニゴイミサイルに追いかけられ続けた。

追記
 朝起きてテレビをつけると、テポドン、テポドンと騒いでいる。わたしはニゴイミサイルに追われ続けた夢のことを妻に話しながらハッとした。誰かに似ている、どっかで見たことがある、と思っていた昨日の釣り人は金正日に似ていたのだった。
「すごいなあ、予知能力だなあ」とわたしが悦に入っていると、妻は声をひそめるように言った。
「あのさあ、いろんな意味でその話、他の人にはしない方がいいと思うよ」
 わたしは曖昧に「そうだなあ」と答えた。

 



             


   


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