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「 スズメ蜂おやじ 」

 群馬県桐生市を流れる渡良瀬川の支流「桐生川」を遡って行くと「梅田」という地域に行きつく。小さな渓流に沿ってできた典型的な日本の村落である。山の傾斜がきついというか、裾野が狭いというのか、桐生市街から30分ほど走っただけでいきなりいい雰囲気の山間部に突入するので、休日の少ないサラリーマン時代には“3色パン”じゃないが「1日で何通りも楽しめるお得なフィールド」として足しげく通ったものだ。
 梅田地区をさらに奥へ進んで行くと、桐生林道へつながる。この林道は、オウム真理教の残党がライフル銃などを沈めたことで有名になった草木ダムとつながっていて、日光への抜け道だったり舗装されていたりすることもあって交通量は割に多いが、わたしのフェバリット・フィールドだ。

 ある日、ヤマメを渓流で3匹釣ったあと、もう釣りはいいやということになって林道を歩いてみることにした。会社の後輩オカピーといっしょである。ちょうど昼飯時であったこともあり、林道脇のスペースに陣取って「いきなり焼肉」を実行することにした。1時間に1台車が通るか通らないかぐらいだし、焚き火をするわけでもないので、遠慮の必要も気のとがめもない。
 ガスコンロと直径25Cmの鉄鍋ならいつでも持ち歩ける、これならたいがいどこでも焼肉ができる、だから「いきなり焼肉」だ。ご飯はだいたいいつも塩むすびを2〜3個は持っている。
 すぐ脇は崖状の雑木林、わたしとオカピーはハフハフ言いながら熱い肉を食らい、はるかに広がる山の景色を堪能していた。
 と、その時われわれのすぐ横の崖下から直径50Cmの茶色い球体がヌッと水中から浮かびあがるビーチボールの勢いで現れた。あまりに突然だったし、それ自体も奇怪な物体だったのでわたしもオカピーも腰を抜かして5mほど逃げた。しかし落ち着きを取り戻してよくよくみると、それはスズメ蜂の巣を2個頭上にかかげ持った地元のオヤジだったのである。
 わたしとオカピーは笑いをこらえながら焼肉に戻った。
「いい匂いさせてますですなあ」
 オヤジはジュージューと音を立てて焼ける肉をチラッと見た。
「それはスズメ蜂の巣ですか?」
「そうだな、秋になるとみんな抜けてしまうで(蜂が別の巣作りをはじめるので)古い巣はオレがもらうだすな」
 オヤジはまだ焼いていないパックに入った生肉の方もチラチラッと見た。
「その古い巣はどうするとですか?」
「欲しいっていう人が多いんだすよ、10000円で売るんだすよ、ハハッ」
「そうすると、今日は日給20000円だ!」
「いやいや! まだまだ午後から2〜3個は採るだすよ〜、あ! 肉焼けてるだすよ」
「あ、どうもどうも、ハフハフハフ」
 オヤジは明らかに腹を空かしているようだった。

「いっしょにどうですか、肉も飯も余計にあるから」
「いやあ〜、そんなみず知らずの人と……ねえ、いいです、いいです」
 なら、早くどっかへ行けばいいのに、という気持ちも無いことはなかったが、そこはほれ、“袖触れ合うも多少の因縁(縁?)”というではないか。
「なら、お茶でもどうですか?」
「あ! いや、お茶はいらんのだすよ」 
 語るに落ちたようなものだが、オヤジはかたくなに「いっしょに焼肉る」ことは遠慮するのだった。そして語る、語る!
「スズメ蜂はさあ、焼肉が……じゃなくて、肉が好きだすなあ。わしらは夏の内に巣の在りかを知っとくために、鳥肉に紙のしっぽを付けて、蜂に運ばせるだすよ。肉はその辺に置いとけば、蜂は匂いですぐ寄って来るだすよ」
 語る、語る。わたしたちは食べる、食べる、ハフハフ。
「で、オレはこの辺じゃ有名な名人でな“スズメ蜂オヤジ”と呼ばれているだすが、そのオヤジが肉の匂いにつられてやって来て、知らない旅人さんの焼肉を食ったんじゃ本当の“スズメ蜂オヤジになっちまうじゃないかと思うだすよ、グゥアッハッハ! ……肉焼けとるよ」
 なんだ、なんだ。食いたいって言えよ! バカチンが! 食うか、どっか行くかどっちかにしてくれ〜!
「さて、そろそろ肉も無くなってきたから、次の巣を探しにおいとましますかね、ガハハッ!」
 
 腰にぶら下げた真っ白なてぬぐいが、さっき話に出た“鳥肉に付けた紙のしっぽ”を連想させ、わたしとオカピーは「まったくなあ、何だったのかねえ、本当にスズメ蜂オヤジだったなあ、ひょっとするとスズメ蜂そのものの化身だったかも知れんなあ」と笑った。
「それにしても……、いい小遣い稼ぎですねえ」とオカピー。
「ああ、霞が浦に行った時なんか休日にタナゴの稚魚採りで日に10万円ぐらい稼ぐオヤジに会ったぜ」
「そうですか……田舎暮らしも……」
 しがないサラリーマン二人組が抱く妄想は、だいたい同じようなものだった。




                





某月某日某所某笑
スズメ蜂オヤジ