80年代の名曲、
大沢誉志幸の「そして僕は途方に
暮れる」が聴こえてきましたぜ!
09年10月13日(火)「 そして彼女は途方に暮れる 」

 テレビでも特集していたが、今年はハゼの成長が遅いのだそうである。いや、成長が遅いというよりは温暖化のために水温が下がらず、そのためにメスが産卵期にもかかわらず深場に入らず、産卵そのものが毎年後ろにズレ込んできているというのが最近の実情らしい。幼魚がいつまでも成長を続けるのならば、釣りの最盛期が後ろにズレるというだけで済むのだろうが、そういう訳にはいかない。冬はエサが無くなるので育たないのだ。地球はまさしく確実に悪い方へ狂ってきている。

 というわけで、魚が釣れないのはぜ〜んぶ地球温暖化のせい(?)なのだけれど、そんな悪条件の中でも釣らせてあげられる「おとうさん」でなければならないのだ。例によって徹夜明けだったが、娘に誘われて白子町ポンドに釣りに行く。しかしだ、ここのところ釣りでまったくいい思いをしていない。前回(10/9「チンチン釣り」)も不振だった。ボウズではないが竿を曲げてくれるような大物に出会えていない。で、ついに「食えないけどボラを釣りましょう。フライで釣れるらしいが、ダメなら引っ掛けてでも」となったわけである。引っ掛けるのは邪道中の邪道やけんどね。
 
 埼玉にいたころ、見沼田んぼの用水路で、荒川からあがってきたボラの稚魚がドライフライでボコボコ釣れた記憶があったので、期待度はかなり高かった。のだけど……。
 エーーーーッ! いきなり過去形かよ
 そうなのです。だって、だって釣れなかったものはいくら別の話を膨らまして引っ張っても、結局「釣れませんでした」で終わりでしょうよ
 
 ドライフライ好きの娘は終始一貫ドライで通した。空しいがたいしたもんだ。わたしはというと、ドライ(昆虫を模したもの)、ニンフ(水生生物)、ストリーマー(泳ぐ小魚)、ゴミ(ごみやパンくず、藻)など、あらゆるフライを試しまくった末、ついに鮎針を利用した引っ掛け釣りにまで身を落としたにもかかわらず、ノーヒットどころか反応すら無かったのであった。ボラは目の前にウジャウジャいたにもかかわらずだ。
「参ったわねえ、パパの方は反応はちょっとはあったの?」
「そして僕は途方に暮れる、だな」
「何それ?」
「いや、別に意味は無い……」
 もはや口もききたくないぐらいの彼女にわたしは戯言を言う。わたしは釣り場で異常に他人に気を遣う性質なのだ。なんとか笑わしてやりたいと思ってしまうのである。
「投網でも買おうかにゃ? ネットで¥3980だったぞ」
「邪悪な考えね、地獄に堕ちろだわ。痩せても太っても、あたしはフライマンよ。たとえ途方に暮れてもよ」
「それを言うなら、“痩せても枯れても”じゃないか?」
 わたしの方が笑わされることもたまにある。
 

 獲らぬ狸の皮算用「カラスミ造り」の夢も敗れ、白子町ポンドに夕陽が落ちていった。あとはオランダ仕掛けしか残っていない。幼稚な仕掛けだが60Cmのボラを揚げた実績もある。チト作るのが面倒だし、世間的にはお子ちゃま仕掛けみたいに扱われているのだが、娘もその仕掛けの名をついに口にした。この際もう何でも有りの心理状態なのである。
 しかしこれ、考えようによっては「途方に暮れてもぜんぜん懲りてはいない」とも言えるのである。男女の仲と同じである。??知らないけど。




             




mk
Yahoo!JapanGeocities topHelp!Me