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「矢切の渡し」か「不義理のわたし」か…

2018年1月1日

2017年1月1日

人生訓

おしゃれっすね

いやはやカッコイイ
2018年01月01日(月)「篠崎真康 先生」


 中学2年時の担任、篠崎真康(しのざき まさやす)先生から今年もまたお年賀が届いた。ほぼ50年間、絶えることなく頂いている。頭が下がる思いだ。
 篠崎先生のことは、エッセイ「F(エフ)」で以前少しだけ書かせてもらった。15歳のわたしにとって、その27歳の若い美術教師は、憧れであり、希望であり、理想だった。先生と出会うことがなかったら、おそらく音楽も、絵も、作文も書いていなかっただろうと思う。上記のエッセイ通り、ギターの手ほどきも先生から受けた。

 50年間年賀状を頂いているのに、わたしは不義理なことにほとんど出したことがない。版画に興味があった頃、一度か二度礼状代わりに出さして頂いた記憶があるが、自分の作品の稚拙さが恥ずかしくすぐに止めてしまった。それでも先生の方からは、怒るでもなく、嫌味を言うでなく、ただただ微笑むかのごとく毎年送られてくるのである。
 わたしの中に罪悪感にも似た気分が生じ始めたころ、ひとつの事を突然思い出した。先生が何かの折に必ず書く絵文字のようなものが有ったことを思い出したのだ。

「何だっけなあ、何だったかなあ」とウロウロと歩き回っていると、なんともめでたいことに元旦の午後に思い出した。それが3枚目の写真である。気は長く、腹を立てず、心は丸く、という人生訓のようなものだ。先生自身、そういうお気持ちでこんなバカ男に50年間も年賀状を出し続けてくださったのかも知れない。

 昨年6月に母が他界し、後のこともほぼケジメがついた。姉ともいつも話している事だが、死ぬ前に故郷鹿児島の自分が生まれた村や家や、育った場所をもう一度見ておきたいという気持ちがある。暖かくなったら計画を実行するつもりだ。その折には篠崎先生にも是非お会いして、不義理のお詫びをしなければならない。

 先生は現在、MBC学園(南日本放送の主催するカルチャーセンター)で切り絵の講師をなさっておられるのだ。そのことはわたしも以前から知っていて、今回Web検索して画像がヒットしたので嬉しくなって引用させていただいた。
 想像通りのご尊顔である。おそらく一回りほどの年齢差だと思うが、わたしなどはこんな良いお顔にはなれそうもない。