「このギターはこれからずっと教室に置いておくからな、触ってみたい人や弾きたい人は
自由にな、使っていいからな!」
 新しい担任の篠崎先生は、最初の日に自己紹介もそこそこにそう言った。
 2年7組の担任は他校から転勤してくる先生だと聞いていたので「変な奴だと嫌だな」
とおれは思っていたのだけど、少しタレ目なのを除けば若くて元気そうで、それに何より
男だったのでホッとした。女の先生はネチネチしていて嫌いだ。
 先生がチェック柄のビニールケースからギターを出してボロローンと音を出すと、教室
中から「オーッ」と声があがった。おれは本物のギターを見るのも、その音を聞くのも初
めてだったので「本当にきれいな音がするもんだ」と思った。
「そいじゃ、あいさつ代わりに1曲歌うから知ってる人は一緒に歌え!」
 先生はそう言って椅子に腰掛け足を組んだ。
 おれは「よくそんな恥ずかしいことが平気でできるなあ、この男は」と思ったけど、ギ
ターだけはちゃんと聞こうと思って目線をギターの穴の辺りと指の動きに集中させた。
「風に吹かれた花びらを、浮べて波は遠ざかる〜」
 びっくりした。学校の先生が歌謡曲を歌うのを初めて見たからだ。おれは知らなかった
けど、それは西郷輝彦の「17才のこの胸に」という歌らしかった。
 そしてもっとびっくりしたのはクラス中のほとんどの奴が歌詞も間違えずに最後まで一
緒に歌えたことだった。
 おれは海で釣りをしたり川で遊んでいる方が好きだったし、家に帰ってもほとんどテレ
ビとか見なかったので、流行歌のことは少ししか知らなかった。だからその時初めて本気
で「ギターも歌謡曲も、そしてみんなもスゲエなあ!」と思った。同時に、遠足の集合時
間に自分だけ遅刻したような気分になった。
「これしかなか、やるしかなか」と思った。
 おれは林修三、鹿児島県谷山市谷山中学校2年7組、出席番号38番だ。
 2年になってクラスや、担任や、友達や、いろいろなものが変わったし、ギターも触れ
るようになったので結構忙しい毎日だ。
 だけどなんとなく「今ひとつつまらんなあ」と思う時がある。その理由は自分でも少し
わかっていて、秋川由美さんと少し関係があるような気がする。
 おれは中学1年の時転校してきた。田舎の方から越してきたのでいつもオドオドしてい
たけど、そんな時にいろいろと面倒をみてくれたのが秋川さんだった。
 回りの奴らが、おれの丸坊主や方言を笑った時も「気にせんでよかよ、みんな鹿児島弁
じゃっが」とかばってくれたし、消しゴムを落としたりするとニコッとやさしく笑ってす
ぐに拾ってくれたりした。かといってやさしいばっかりじゃなくて、時にはおれの短所を
言ってくれたりもした。
 おれは少し学校に慣れてくると「なめられちゃいかん」と積極的に学年番町やその子分
達にケンカを売ったりしたけど、秋川さんは妙に強い口調で「暴力は好かん、なぐる男は
好かん、口で言えばみんなわかるとに!」と悲しそうな顔で叱ったりした。それでおれは
急にふざけるように自分の目の隈を指差して「秋川さんの奥目が可愛いかで、同じ目にな
りたかっただけじゃが……」などと訳のわからんことを言って、そしてまた二人で大笑い
したりした。
 1年の遠足の時、バスの中でみんな1曲ずつ歌わされて、秋川さんは黛じゅんの「霧の
かなたへ」という歌を歌った。
「愛しながら別れた、二度と逢えぬ人よ〜」おれは秋川さんが大人の歌をものすごく上手
に、悲しそうに歌うので本当にびっくりした。黛じゅんよりいいと思った。
 おれが少し褒めすぎたのか、秋川さんはその遠足の後も、放課後にいろいろな歌を歌っ
てくれたりした。西郷輝彦がこの谷山中学の出身だということや、音楽室のエレクトーン
は西郷輝彦が学校に寄贈したものだということを教えてくれたのも彼女だった。
 あんまり仲がいいので「二人は出来ている」と学校中で評判になったけど、おれは相手
が秋川さんだったのでかえって嬉しかったぐらいだ。
 結局2年になる時に運命のクラス変えがあって、最近では廊下ですれ違う時ニコッと笑
うぐらいで、全然話なんかしていない。
「1年の時は幸せだったなあ」と、おれは懐かしんでばかりの軟派になってしまった。
 それからこれは最近聞いたことなんだけど、秋川さんちの家庭はかなり複雑で、刑務所
に入っていた長男がもうすぐ出てくるとか来ないとか、お父さんがアル中でよく暴れる
らしいとか、そんな噂を耳にした。おれは別になんとも思わないけど、頭の中で秋川さん
の「霧のかなたへ」の歌声がジンジンジンと前より強く響いている気がする。
 篠崎先生のギターは5組の沼田という奴が放課後に独占していて「禁じられた遊び」の
最初の所ばかり自慢そうに弾いているので、なかなかおれには回ってこない。
 それでおれは板ッ切れをギターの形に切って、胴のところには木製の菓子箱をボンドで
貼り付けて作ってしまった。それに釣り糸を10号から5号まで太い順に張って、糸巻き
は木ネジの大きいので間に合わせた。ただ難点は音が三味線みたいなのと、チューニング
をする時にドライバーが必要なのと、だから人前に出せないことだ。
 けど先生はおれの板切れギターを笑いながら義理でほめてくれて「伴奏用のコードの練
習にはそれでよか」と言ったので、指の絵で押さえ方を教えてもらい、おれは押し入れか
ら毎晩平べったい手作りギターを引っ張り出して左手だけの練習をした。CとFとG7と
いうのをおぼえた。
 少し音が出るのが逆効果になって、かあちゃんに板切れギターを見つけられたのは夏休
みだった。かなり怒られるかと思ったけど、それが余りに哀れな音だったからなのか9月
の誕生日には「おれのギター」を抱いて寝ていた。
「Fがなかなか押さえられんがあ……」おれは情けない声で篠崎先生に言った。
 一大決心して11月の文化祭でギターを弾くことにしたのだけれど、気持ちばっかりあ
せって全然思うようにうまく弾けない。
 おれはコツのようなものを教えて欲しかったのだけど、先生は真面目な顔で不思議なこ
とをいった。
「林、心の中になあ、こみ上げてくるような熱いものが無いと楽器は上手くならんど」
 そんなことじゃなくて、それぞれの指にどのくらい力を入れるのか……というようなこ
とをおれは聞きたかったのだけど、先生の言っている意味も少しはわかった。
 おれは思い切って秋川さんとのことや噂のことも先生に言ってみた。先生は一瞬びっく
りしたようだったけど、タレ目をさらにタレさせて「よし、よし」と笑った。
 おれはまたFを押さえる練習を続けた。もうだいぶ左手の人差し指の腹が痛くなってき
ていたけど、力をこめて黙って繰り返し繰り返しFを押さえた。
「よ〜し、おれはもっともっと秋川さんのことを好きになろう。そしてたとえ何があって
も、ずっといつまでも好きでいよう。そしてギターがほんとうに上手くなったら『霧のか
なたへ』を弾いてあげよう」と思った。
 なぜか少し泣きたくなって左手の力がフッと抜けると、きれいな音で「F」が鳴った。
(エフ)

ギターは直射日光に当てたらいかんよ〜てばさ。

CとFとG7は必ず最初におぼえなよ〜、それからさ〜