06年5月30日(火)「 レクチャー・デイ 」

 椎間板ヘルニアを患って早9ヶ月経ってしまった。その間、ぶり返すのが恐くてバイクの遠乗りは控えてきた。当然釣りもオアズケ。しかしだ、そういうのはやはり人間の、かつ男のダイナミックレンジをせばめてしまう。釣りの子分、オカピー(元同僚)に連絡を入れる。
「遊んでくで〜。ブルーギルも遊んで欲しいと言ってるぞ」
「ワオ、いいっすねえ、天気次第だけど」
「天気がなんだ! ブルーギルとバスの釣りをレクチャーしてやろうってんだ、雨がなんだ雷がなんだ雹がなんだ」
「いやいや相変わらず“老人性元気症”ですなあ。でも腰痛じゃ車ですか?」
「何を言ってるんだチミ(君)は! カブだよカブ!」
 かくしてオカピーにブルーギルと子バスを釣らせるべく柴山沼に向かう。気になる天候も普段の行いがいいせいか、曇ってはいるがなんとかもちそうだ。さわやかな風を受けて1時間半ほど走ると、沼の手前にアネモネの咲き乱れる畑が現れた。極彩色の赤が燃えている。
「コスモスですか? 早いですねえ」
「アネモネだよ、女の一人っ子だよ、姉も無(ね)えだ」
「ハハハ、うまいもんだ」
 D級の駄洒落をレクチャーしてしまった。

 沼を覗くと前回(2005.10.2フィールドノート参照)とは様子がまったく違っていた。水の量が異常に多いのだ。いくつかの水門を閉めて本来の貯水池として活用されている時期なのだろう。前回、岸辺の水面近くで遊んでもらったギルもバスも今日は深く潜行してドライフライには反応しない。何匹か表層で居眠りをしているブルーギルがいたが、鼻先にフライをちらつかせても見向きもしなかった。20cmぐらいのナマズ君には笑われるテイタラク。最後は竿でつついてやった。入漁料(¥500)まで取られたのに15分で撤退を決意する。あきらめるのは早い方がいいのだ。
「入漁料徴収係のオジジイの笑顔はやっぱり商売専用の顔なんだすなあ。50Cmのバスがボコボコ釣れるようなことを言ってたのに……」
「金を取るときだけ調子がいいのは日本の伝統だな」
「色々、教えられまんなあ」
「秋に出直そう。それよりここからあと1時間半も走れば多々良沼だけど、どうする?」
「腰はどうなんです? 無理して帰れなくなっても知りませんよ。わたくしは師匠を置いてひとりで帰りますよ」
「いいってことよ、男は爆弾をかかえてこそダイナマイトだ」
「?」
 男は危険を犯してでも思いっきり遊んだ方がかっこいいだろう! という意味で言ったつもりだったのだが、オカピーには意味不明に取られたようだった。

 道にあまり明るくない人とツーリングをすると、先行者は常にバイクのバックミラーを気にすることになる。後続者が信号にひっかからないようにスピードコントロールしたり、ウインカーを早めに出したりと結構気をつかい、加えてちゃんとついて来ているか常にミラーで確かめなければならない。会話しながら走れるバイクツーリング用のトランシーバーがあるそうなので近々に手に入れたいものだ。10tダンプや20tトラックがブンブン走る122号線は経験の浅いオカピーには過酷である。わたしも初心者の頃、走行中の横転・接触・巻きこみで3回ほど死んでいる。まだ若いオカピーを死なせたりしたら奥さんに申しわけないから、飛ばし過ぎないように50Km/hをキープする。
 1時間半で多々良沼に到着、直線の農道に入る。一面麦畑だ。刈りいれもそう遠くはないのだろう、麦藁の匂いがもう夏のものだった。わたしは至福の境地で思わず立ち乗りし、若造のようにジグザグに走った。
「ウッヒョー! イェーイ! ……ん?」バックミラーにオカピーがいない。
 振り向くと100m後方でオカピーはしきりに自分のカブの後輪を触っている。パンクだ! 聞けば2、3日前にパンクしたらしく、とりあえずスプレー式のパンク応急処理剤で対処し、今日もそのまま乗って来たらしいのだ。わたしの家まで来た距離を考えると、よくそれで80kmももったもんだとわたしは半ばあきれてしまった。
「ちゃんとメンテしとかないと命にかかわるぞ。う〜ん、現実問題として、知る限りでは半径3km以内にバイク屋は無いなあ」
「釣りどころじゃなくなりましたねえ」オカピーはまったりと言った。
「なあに、直しゃあいいんだよ、道具は全部あるし。俺なんか1日に3回パンクしたことがあるぜ、なんでもプラス思考だ、今日はチミにパンク修理についてレクチャーしようじゃないか、いい機会だと思うよ、神のお導きだ」
「ソーメン、もとい、アーメン」
 オカピーは十字を切った。呑気なクリスチャンだ。

 小ネジを数箇所外して車軸を抜き、車輪を外す。タイヤを起こしてチューブを取り出し、水に浸けてパンク穴を見つけ出し、そこをゴムパッチでふさぐ。すべてを元にもどして一丁あがりだ。わたしは自分でも惚れぼれするような手際の良さで修理をしてみせた。
 ところがである。空気を入れてもタイヤの圧が上がらない。またどこからか空気が抜けているようなのだ。応急処理剤を入れたことが仇になっていて、液がしみだしてパッチがうまくくっつかなかったのか、もう一度はじめからやり直す。
「うわーっ、別の穴が空いてますぜ! さっきは無かった穴が……」
「これはだねチミ、いい機会だから同じように1度ぜんぶ自分でやってみなさいという神のお導きだね、ソーメン」
「んだ、んだ。やってみますわ!」オカピーは嬉しそうに言った。
 
 結局……、わたしたちは同じことを4回繰り返し、その度に新たな穴を作っては疲弊していった。チューブが劣化していたのだ。
「あきらめた方が賢い、新品チューブを買ってくるわ! わたしは3kmほど走りバイク屋を探し出し、舞い戻った。パンクはあっさり直った(直ったというのだろうか)が、この時すでに夕方の5時である。おまけに暗雲たちこめ稲妻が光り始めた。桐生方面の空は真っ黒だ。妻に帰りが遅くなる旨を電話すると、東京も雷雨だという。わたしたちの真上の空だけが帯状に明るいのだった。
「ヤバイっすかね」
「やばいね」
「何考えてるっすか?」
「30分だけ、釣りしようかなと、ね」
「え〜ッ! ダイナマイトだすなあ!」
「大丈夫、まかせなさい、俺について来れば雲の切れ間を走って帰ってみせるぜ、フ、フ、フ」わたしは根拠も無く不気味に笑った。

 結局……だ、釣りはボウズに終わったが、わたしたちは1度も雷雨に直接遭遇することもなく、雷雨が通り過ぎたビショ濡れの町を風のように走り抜けて帰ってきた。
 家に着くとオカピーはわたしの妻に今日1日の盛りだくさんの顛末を面白おかしく話し始めた。
「イヤ〜、ほんまに今日は小林さんにお世話になりましたわ! 花やらパンク修理やらダイナマイトやら、バイクの洗い方やら、いろんなことを教えてくレクチャーでしたわ」
 アン? そんなE級な駄洒落はレクチャーしてないぞな……。
 
 

   
             




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