2013年12月24日(火)「 プーリー逝く 」

「ウーロン」に続いて「プーリー」が逝ってしまった。
 2005年の7月20日に生後半年ぐらいで我が家に来たから、だいたい9年間の一生だったことになる。9年というのが猫の寿命として長いのか短いのか、そして人間でいえばいくつぐらいでの死なのか、わたしにはよくわからない。
 死因は「リンパ節癌」、病気が発覚してからは悔しいかな半月ももたなかった。

 彼女と目が合うたびに、わたしはいつも“引け目”を感じていた。いや、引け目どころか罪悪感と言った方がいいだろう。彼女が我が家に来たいきさつを思うと今でも自責でちょっと胸が痛む。
 当時我が家には既に「ウーロン」という名の猫がいて、溺愛するあまり「お姫様状態」になってしまっていたように思う。退屈させては心にも体にも悪かろうと、バイクやクルマに乗せて外に連れ出し、恥ずかしながら犬のようにリードをつけて散歩をさせてみたりしていたのだ。
 よく行ったのは浦和のハーブ園で、人の少なさと他所ではめったに見られない珍しい薬草系の花々が咲き乱れているのがとても魅力的だった。「女体(にょたい)神社」という嬉しいような恐ろしいような名前の神社も隣接していて、ウーロンの艶姿と組み合わせてよく笑いネタの写真を撮ったりしたものだ。
 市街地からかなり離れているためか、どことなくのどかでぼんやりした雰囲気があって、近隣に住む老人たちとホームレスの男たちが仲良く将棋をさす光景がよく見られた。「来るを拒まぬ」雰囲気が公園全体にあったのだろう、捨てられたペットには誰かがかならず餌を与えていたし、雨風避けの箱小屋が藪の中にいくつも見え隠れしていた。
 準血統書付き系から純雑種系まで公園在住の猫がたくさんいたのだった。
 
 ある日、気位の高いウーロンが珍しく1匹の若猫とじゃれて遊んだ。それまでにあまり無いことだったのだ。
「そうだ、ウーロンの遊び相手にいいじゃないか!」
 どうかしていたのであろう。たったそれだけの理由で、わたしはプーリーを餌で釣って車に乗せて、そしてそのまま連れて帰ってきてしまったのだった。
 世間一般的には、こういうのを「拉致」というのだ。金正日と同じ行為なのだ。哀れな捨て猫を救ってあげたという訳ではないのである。誰に問うてもまぎれもなく「誘拐」である。彼女の首には汚れてはいたが赤い首輪が着いていた。


 
野良及び半野良の猫の平均寿命は5年程だと聞いた。ならばまあ、我家で他の猫たちから受けるプレッシャーは日々大きかったかも知れないが、暖かくしてもらい、美味しいものを食べてこられた分だけ幸せだったのかもしれないなあ……とわたしはそう考えることにした。
「おまえはうちに来てしあわせだったかい?」
 もうほとんど意識のない彼女に幾度か尋ねたけれど、反応することもなく、その答えは永遠に得られないものになってしまった。
 
 プーリーの魂は、おそらく死と同時に体をはなれ、午前8時の大空を浦和のハーブ園に向けて飛んでいったに違いない。なぜなら、おそらくわたしが死んだ時も、骸(むくろ)を残して魂は1600Kmかなたの鹿児島に一直線に飛んでゆくような気がするからだ。
 “あまちゃん”だなあ、と自分でも思う。アッハッハーである。言うまでもないが“あまちゃん”はもちろん「じぇじぇじぇ」ではない。







                  




mk
「プーリー」はプーアール茶のことだ。うちの猫はみんな飲み物の名前だった 
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ぶさいくだったけど

体も小さかったけど

臆病だったけど

甘えん坊だったけど

よく頑張ったけど

お骨がたまってゆく
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