再会はうれし悲しき春の雨
08年4月1日(火)  「 おかえりDT 」

<3月30日のこと>
「あの〜、こちらは浦和東署の藤田ですが、小林リンパクさんですか」
「はあ、小林ですけど」
「あのですね〜、平成17年に小林さんが盗難届を出されたバイクなんですがね……」
「えっ?」
 忘れもしない2005年11月、マンションの駐車場(窓の真下に置いてあった。しかもわたしが在宅中だった)から突如姿を消してしまったDT50というバイク、それらしいバイクが見つかったというのである。
「犯人が捕まったわけですか?」
「犯人は平成18年には捕まっていたんですけど、1台1台の確認をしてまして……、台数が多くてですねえ」
「やっぱり窃盗グループでしたか?」
「そういうことはちょっと……、それに捕まったのは別の署なんで……」
 当時、邪推だと家族には言われたが、わたしの推理は当っていたのかもしれない。「使ってないバイク、買います」というコピー紙製のお粗末な偽物っぽいチラシがいつもバイクのハンドルに巻き付けてあったのを覚えている(ちゃんとした店のチラシはカラー印刷で輪ゴムで下げてあった)。さらに、ちょうどその頃大きなバイク窃盗グループが捕まったというニュースなどもあったので、わたしは同類の奴等がDTを盗む機会をうかがっているんじゃないかと疑ったわけである。で、「ハンドルにチラシを巻きつけるな」を口実に探りの電話をかけたことがあるのだが、電話そのものが存在すらしなかったのだった。
「でですね、申し訳ないんですがバイクの確認に来ていただきたいんですけど。千葉からじゃ遠くなっちゃて大変だと思うんですがね」
 わたしは娘の事故以来、警察官を信用していない。知能の低い、馬鹿で横柄な奴が結構多い。「おめえの娘が交通事故起こして死のうが助かろうがこっちの知ったこっちゃねえんだよ。とっとと事故車片づけろ。俺は早く1杯やりてえんだ」的な奴だ。まあ、今回はそこまではゆかないが、確認してなるべく早く処分するか引き取るかしてね、という感じではある。
「わざわざご連絡ありがとうございました。わかりました、明日31日に行きます。年度末でお忙しいでしょうが、これも今年度中に処理なさりたいでしょうから午前中には必ず到着するようにします。ひとつよろしくお願いします」
 わたしは必要以上に慇懃に、そして皮肉たっぷりに言った。嫌な性格だ。

<3月31日のこと>
 宿直明けで仕事場から直接「東浦和駅」に向かう。埼玉にいた頃のマイ・フィールド「見沼田んぼ」に近い駅なので勝手はわかっている。ただ、浦和東署ってえのが遠いんだ駅から。冷たい雨の中をうつむいてトボトボ20分歩く。DTをどうするかの思案に暮れながら。
 DT50の事は完全にあきらめたつもりでいたのだが、いざ見つかったとなると心が踊った。たいしたバイクじゃないが17000kmをいっしょに旅した仲だ。幸薄い、不遇のどん底状態にある“別れた女”に、ある日突然再会したようなものである。……か?
 ボロボロ状態なんだろうなあ。見かけも変わり果てているんだろうなあ。何人もの男の手に渡ったと聞いたが大事にはされていなかったんだろうなあ。エンジンもかからないのかなあ。心も体もゆがんでしまってるんだろうなあ。俺のこと覚えてくれてるかなあ。最初会ったときなんて言おうかなあ。1日も君のことを忘れたことはなかったよとか言おうかなあ。泣き出したりしちゃってなあ。俺も泣いたりしてなあ。いきなり乗りかかったりしてなあ。キックも1発入れてみたいし、馬乗りになって腰で揺らしてみたいよなあ。俺と別れたあとのことをポツポツ語り始めたりしてなあ。いろいろあったんだね君も、なんて手を握ったりしてなあ……。

 しかし、彼女、もといDTは思ったほど傷ついてはいなかった。盗まれた時とほぼ同じ状態である。色もそのまま、シートも破れていないし割れや傷も増えてはいない。ウインカーランプが取り替えられているような気がするが、それももうはっきり覚えていない。ただ……、割と最近まで乗られていたらしいとは聞いたが、バッテリーが完全にあがってしまっていた。キックもスカスカだ。エンジンさえ再生できればまた一緒に旅ができるが、現在時どこにも生気というものが感じられなかった。エンジンがネックである。雨が強く降ってきたので「押しかけ」でのテストもあきらめざるを得なかった。寒い屋外の駐輪場に鎖でつながれている姿は痛々しかった。屋根が少し小さいのか雨が吹き込んで前輪が濡れている。まわりの同じ境遇の仲間の中でも、ひときわ歳をくってしまっている。ナンバーもない。生きているのか死んでいるのかもわからない。わたしはジッとDTを見つめて悲しくなった。
「同情するなら金をだせ!」と彼女はあえぎながら、ささやくように言った。わたしはどっかで聞いた台詞だと思い「金をくれじゃなかったか?」と聞き返したが、彼女は答えず昏睡の底へ落ちていった。わたしはジワジワと腹が立ち、同時にわたしの中の何物かにメラと火が点いた。
「おうよ! いいとも。金ならいくらでも出してやるぜチクショウ、お前は、お前は、今でも俺の女、じゃなかった、俺のバイクだ〜!」
 浦和東署の藤田さん(交通課じゃなくて刑事課の刑事さんだった)はわたしをイカレた怪しい奴だと思ったのだろう。突然本気の刑事の目になって横目でわたしをにらんだ。冗談のわからない奴だ、まったく。

<4月1日のこと>
 土気を05:22の始発電車で出発、一路「浦和駅」へ。09:00に東口のトヨタレンタカーへ行けばいいのだが、ちょっと早すぎた。1時間以上あったので朝マックする。
 予約してあったのは軽トラック幌付き、強風なので幌がじゃまだが、これしか無いと言われりゃあしかたがない。風の抵抗が大きいので燃費も悪いし、横風にあおられたりするが我慢するしかない。(トヨタレンタカー浦和駅前店のスタッフはとても親切で好感度100点でした)一路「浦和東署」へ。
 きのう会った藤田刑事は別の事件で出かけていなかったが、代わりに応対してくれた若いおまわりさんがこれ又とても腰が低く、なんとありがたいことに積み込むのを手伝ってくれた。わたしは色々な人の親切で生かされている。
「もう廃車にしようかとも思ったんだけどさ」
「イヤイヤ、この手のバイクは楽しいですよ、直してあげてくださいよう」
 おまわりさんもバイク好きなのかも知れなかった。
「この歳で乗るようなバイクじゃないんですけどねえ」
「そんなことないですよう、人気のあったバイクですからねえ、いつまでも乗ってあげてくださいよう」
 わたしは超単純人間なので、警察がいっぺんに好きに……ならない、ならない。個人個人で差が有りすぎるからだ。いい人はどこにでもいるし、悪い人もどこにでもいる。わたしはドアミラーの中で手を振る親切なおまわりさんに短くクラクションを鳴らした。一路土気へ。

 3時間40分で到着。軽トラの荷台にはエンジンオイルがかなりもれた。レンタカー屋が幌を破るといけないから倒して乗せてもいいと言ってくれた結果で、しかたがない。DT50を見て娘が喜んだ。娘にとっては初めて乗ったバイクだからだろう。事故のせいでもう2度とバイクは嫌だ、とならないところが我が娘ながらすごい。もっと大きい排気料の免許を取りたいのだそうだ。それはそれで素晴らしいことだ、とわたしは思う。それでまた事故って死んだとしても、しかたが無い。それでも乗りたいという気持ちが大切だろう。
 娘が軽トラの荷台をすっかりきれいに掃除してくれたので、その間わたしは休憩を取りコーヒーを2杯飲んだ。浦和へ向けてトンボ返り。「乗り捨て」という制度があって、近隣のトヨタレンタカーに車を返却してもよかったのだが、そうすると料金が倍近くなるのでやめた。往復で今日8時間ほど運転してちょっと腰は痛いが、軽トラックの運転がそれなりにワイルドで面白く、飽きなかったおかげで疲れは感じなかった。
 浦和からまた電車に乗り、帰宅したのが20:00。1日仕事だった。わたしは懐中電灯を持って庭に立った。そしてそっと照らしてみた。昔並んでいたのと同じように、そこにはスーパーカブとDT50が停まっていた。左右の関係も同じだ。
「おかえり、DT」
 わたしは“ちょっといいこと”をしたような気分になった。




              




mk

この頃に戻してあげたい

がんばれよお前

なんとか言えよ、お前

おかえり
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