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「 松橋家の刺客 」

 通勤電車で偶然「ハゲオヤジ」の前に立ってしまった。見事なハゲである。ツルツルである。ピカピカに光っている。そこだけを見ていると、この世のものとは思えない。ふと、わたしは非常に馬鹿なことを考えた。
「このおやじのツムジはどこへ行ってしまったのだろうか?」
 急いで電子辞書をひくと、ツムジは「旋毛」と書くのだった。ということは毛の無い人にはツムジは無いのだ。あたりまえと言えばあたりまえだが、わたしはおかしくておかしくて「若毛の至り」というくだらないタイトルを思いついた。
「若毛の至り? 本当は若気の至り? 若さゆえの失敗? あいやー」
 嫌〜なことを思い出してしまったぜ、チクショウ。

 浪人時代と大学時代の前半、わたしは西川口の「青雲荘」というアパートに住んでいた。全部で8部屋しかない小さな2階建ぼろアパートだったが、住人は全員美大生で、東京芸大、武蔵野美大、多摩美大と色々だった。
 さらに面白いのは全員が音楽好きでギター好き、どこかの部屋で必ず誰かがギターを弾いていた。フォーク、エレキ、クラッシック、それも色々だ。
 全員が知り合いだったし、夜ともなるとどこかの部屋で“すき焼き大会”やら“けんちん汁大会”が催され、たまにはギターセッションが激しく始まったりした。住人以外の出入りも多く、まったくもって実に近隣の方々にとってはありがたくないアパートであったはずである。
「松橋家」はその青雲荘を包み隠すような形で表通りに面して建っていた。「家」ではなくて「邸」である。白亜の豪邸である。つまり、青雲荘は松橋家の裏庭の物置のようであったし、便所の窓下に生えた“どくだみ”のような存在だったのだ。そして松橋氏は西川口の韓国系パチンコチェーン店の社長だった。パチンコ店以外にもキャバレーや焼肉屋をやっているとの噂だった。

 その夜、わたしは悪乗りしていた。レコード会社の新人オーディションに優勝した祝いのような形で、わたしの部屋にアパートの住人全員が集まり宴会になっていた。飲めや歌えの乱痴気騒ぎである。わたしは賞を獲った歌を大声で披露し、それにダメ出しする者、やっかむ者、よいしょする者、共に大いに酔っていた。冬だから窓を閉めきっているとはいえ、近隣の誰かがいつ警察を呼んでもおかしくないぐらいの騒ぎようだった。
 誰かがブルースの循環コードを弾き始めた。それはセッションとアドリブのはじまりだった。ギターでリードをとる者もいたが、大方はそれぞれが思いつくままに普段の身のまわりのことや女のこと、くだらないダジャレや貧乏のことを短いメロディーに乗せて即興で歌った。
 そのぐらいの騒ぎようは青雲荘ではたいして珍しいことではなかったが、その夜は住人が一同に会した喜びもあり、かなりイケイケモードになってしまっていたのだろうとは想像がつく。
 窓ガラスがガチンガチンと鳴った。見ると暗闇の中から物干し竿が突き出してきてガラスを今にも突き破りそうな勢いで突いている。「まただ!」わたしはカチンときた。
 突いていたのは松橋家の使用人だった。松橋邸の2階の物干し台とわたしの部屋は1mほどしか離れていなかったのだ。わたしは止めればいいものを、さらにいきがって歌い始めた。さらにガラス戸も半分ほど開けてシャウト攻撃した。
 わたしの部屋は角部屋で松橋家と隣接していたこともあり、じつはそれ以前にも些細な摩擦が両者には何度かあったのだ。夏の熱帯夜、こちらは裸同然の格好で窓全開で寝るし昼ぐらいまで起きない。先方にとっては見たくないものが見てしまうこともあったのだろう。松橋家には当時中学生の娘がいたが、物干し台に偶然出たら、見たくもないのに目の前に若い男の裸が見えてしまった……などということがあったかも知れない。カーテンを閉じろだの裸で寝るな、音楽がうるさいなど、私用人は何度も物干し台からドスを効かせた声で命令した。
 わたしは何度言われても無視していた。“見たくもない裸”はお互いさまなのだ。窓の下がちょうど松橋家の台所になっていて、わたしが深夜まで絵を描いていたりするとポッと明かりがついて誰かが水を飲んでいる姿が見えてしまうのだった。ある時は主人であり、ある時は婦人であったが、彼らはなんといつも全裸だった。SEXのあとに喉が乾いてそういう露な姿になっているのか、と初めは思っていたのだがどうも違うらしい。明らかに彼らは裸族だ、金持ちはみんな裸族だったのだ! ……な〜んてたわいないことを仲間内で話しては笑いの種にしていたわけである。「カーテンを閉じろ」はこっちのセリフだった。
 ブルースは続いていた。次第に歌うのはわたしだけになっていった。わたしは人種差別者ではないがその夜だけは何かが狂い始めていた。わたしの歌う歌詞の中にヤバイ言葉が混じり始めた。朝鮮人、在日、日本人名、金持ち、ヤクザ、パチンコ、キャバレー、覗き、裸族……。
 真冬だったにもかかわらず、近所中の家々が窓をほんの少し開けわたしの歌を聞いていたにちがいなかったが、おそらくその段階でぴしゃりと窓を閉めてしまったにちがいなかった。何かとてつもなく恐ろしいことが起きそうな気配がしていたにちがいなかった。
 巻きぞえを食いたくないと思うのは当り前である。仲間は宴会から一人抜け、二人抜け、三人抜け、それぞれの部屋へ戻っていった……そして誰もいなくなった。わたしはギターを抱えたまま眠りこんだ。後日談ではあるが、その場にいた全員が「あ〜あ、小林は東京湾に沈められるな」と思ったそうである。

 松橋家の刺客は翌朝やってきた。あごの張った男が二人、部屋のドアを開けてわたしに起きろと言った。
「社長が会いたいそうだ、そのままでいい」
 わたしは二日酔いでガンガンする頭をかきむしりながら男たちに従った。アパートの階段を下りる時、二人の男はわたしの前後に張り付いた。状況はわかっていたが、しかしとにかく頭が痛くて逃げる気力さえ湧いてこなかった。
 松橋邸の玄関に着くと、とは言っても50歩ほど歩いただけなのだが、例の使用人がベンツを磨きながらチッと舌打ちをした。絶対手を出すな、とでも言われているのか後ろ手の格好なのが不気味だった。

「私はゆうべここに居なかったから歌は聴いていないんだけど、ずいぶん歌が上手いらしいねえ」
「はあ、まあ」
「ギターも上手いらしいねえ」
「ギターはまだまだですけど」
 松橋氏は片頬で笑った。わたしがうつむきもせず普通に受け答えをしていたので少し調子が狂ったようだった。わたしは度胸があったわけでも肝が座っていたわけでもなかった。自分がしでかしたことの重要性はわかっていたし、反省もしていた。殺られるのならそれもしかたがないし、とにかく早くして欲しかっただけなのだった。
「しかしアドリブできっちり歌詞をメロディーにはめてゆくのはすごいねえ」
「一応プロ、プロ予定ですから」
「プロ? 絵の大学へ行ってるって大家さんは言ってたけどねえ」
 面倒だったものがますます面倒になりそうな気がしたが、わたしはフォーライフレコードのオーディションで優勝したこと、大学生ではあるが半年後にはおそらくデビューするだろうこと、昨夜はその祝いのような寄り合いだったことを話した。
 松橋氏は多少は音楽のことに興味があるのか、しばらくは黙ってわたしの話を聞いていたが、わたしにもう話すことが無くなり黙ってしまうと、わたしの爪先から頭のてっぺんまでをねめまわしながら「もういいかね?」と言った。
 いよいよ本題に入るのだな、というのが顔の表情でわかった。
「謝らないでいいんだ、謝って欲しくもないし、謝ってもらっても元どおりにはならない。うちのことを知らなかった人にまで余計なことを広めた訳だからね。謝られても困ちゃうよね」
「ハイ」
「わたしは怒っていない、些細なことだ。近所とのつきあいもないし屋敷は高さ3mの塀で囲ってある。ただ娘はね、ああ見えて気が強くてねえ、昨夜のうちにさっきの男2人を呼びつけて……」
「ハイ」わたしはそれしか言えなかった。
「10日以内に消えてください。最近の若い者はわたしにかくれて色々しでかすけど、とにかく10日はわたしが保証する。もう帰りなさい」
 そう言い残して松橋氏は別の部屋に入っていった。わたしはどうしていいかわからず、次の段階を待って10分程じっとしていたがその後誰も現われないので自力で玄関にもどり、サンダルを履いてアパートの部屋へ戻った。しかしわたしの行動の一部始終はきっと誰かが、おそらくあの2人の刺客が見ていただろうと想像がついた。

 9日後、わたしは友人の住む隣町のアパートに空き部屋ができたのを機に越してしまった。2ヶ月後、こっそり松橋邸のあたりを遠巻きに偵察に行くと「青雲荘」はすでに取り壊され、かわりに高さ3mの塀が延長されていた。本当に青雲荘があった場所は松橋邸の裏庭になっていたのだった。
 それから、これはずっとあとになって知ったことだったが、他の青雲荘の住人たちは急な立ち退きの費用として30万円ずつもらった、とのことだった。
 身から出た錆、若気の至り、いろいろな言い方があるだろうが今思うとそこはかとなく恐ろしく、かつ恥ずかしく、一晩でハゲてしまいそうな話ではある。




              




 
某月某日某所某笑
松橋家の刺客