「 マムシと去勢 」

 先日、知人のSと話していて、ひょんなことから「寄書き」の話になった。Sは中学の卒業アルバムの「尊敬する人」という欄に「ブルース・リー」と書いたというのだ。まわりの同級生連中が「父」や「母」や「ヘレン・ケラー」etc.と書いている中で、その馬鹿さかげんは際立っていて素晴らしい。わたしなどはあまりよく覚えていないが「西郷輝彦」なんて書いたかも知れない。陳腐である、ブルース・リーに比べれば負けである、悔しい。
 わたしの回りには類を呼ぶというのか何というのか、変わった人が最近つとに多くなってきていて、そういう人たちが集まると酒も飲んでいないのについつい「貧乏自慢」「馬鹿自慢」大会になってしまうのだ。若い頃どのぐらい貧乏だったか、どのぐらい馬鹿なこと・笑えることをしたか……といった愚かな遊びだ。しかしながら、シラフでやるからあながち意味が無い訳でもないような気もする。その辺が単なる酔っぱらいの“おふざけ酒の肴噺”とは一線を隔している。(とは思う)
 ちなみに貧乏自慢の1位は「食べるものがもう何も無くて、隣人の頼んだ出前ソバの残り汁を飲んで飢えをしのいだ」というもので、これがもう何年間も誰からも文句のでない永遠の貧乏1位である。但し哀れすぎるし隣人の病気もうつりそうで笑えないところも多い。その辺はちょっと残念だ。
 
 小学3年生の時「ぼくの・わたしの恐いもの」というテーマが与えられ作文大会があった。わたしは「マムシと去勢」という恐ろしい文章を書いた。
 南九州はご存じの通り亜熱帯なので蛇が多い。特にマムシは多くて、早朝や夕暮れ時にどこどこの誰それが噛まれたぞ! という情報が村中に走り、今のようにいい血清も無いし医者もいない時代だったので傷口を鎌で切り割いて血を吸い出したとか、足先を噛まれたのでもうその場で足指を切り落とした……などという話を聞くと、子供ながらに失神してしまうほど恐くて眠れないものだったのだ。
 山間部を行くバスのガイドさんが、途中の小用休憩時にマムシに局部を噛まれ、噛まれた箇所が箇所だけに人に言えず、ついには体中に毒が回って死んでしまったという話などもあった。しかしこの話はその後どこに行ってもよく聞かされる話であったので、誰かが上手くまとめた“作り話”だろうと思うが、まあマムシは当時恐ろしいものの代表ではあったのだ。
 実際に自宅の軒先や植木の根元でトグロをまいて潜んでいるマムシを見たこともあるし、噛まれた人の、足の太股ほどに腫れ上がった腕を見せられたこともあって夢にうなされた経験もある。
 もうひとつの恐いもの、それは「去勢」だった。
 自宅の脇に幅2mぐらいの川があり、わたしはそこで毎日のように釣りをしていたのだが、流れの幅自体は2mでも土手などを含めるとまあ川幅4mぐらいはあった。そして自宅側から見て川向こうは養豚場だったのである。
 ある日、なん〜も考えずぼんやりと釣りをしていると、養豚場の方からすさまじい子豚の悲鳴が聞こえてきたのだ。わたしは恐る恐る近づき、向こう岸で子豚を1匹ずつ抱え、何事かをしている男の様子を観察した。初めは何をしているのかまったく分からなかったが、さらに凝視し続けていると様子がつかめてきた。その男は子豚の金玉をカミソリでえぐるように切り落し、その小川の中に無造作に投げ捨てていたのだった。暴れる子豚を脇で押さえつけ、切り取った後に赤チンキのような薬品をふりかけ、次々と子豚をとりかえていった。仕事とはいえ男の目は尋常ではなく、ときたまわたしの方をチラッとみる目のギラツキにわたしは吸い込まれるような恐ろしさを覚えた。
 ほどなく全ての子豚の金玉切りは終わったらしく何事も無かったようにその男は去り、遠くで子豚たちの悲鳴が小さく聞こえていた。わたしはほんの一かけらの勇気をふるいたたせ、恐いもの見たさだけで男が作った子豚の金玉の山に近づき、息を殺してそのディテールを見た。薄暗い薮に囲まれた水辺に溜まる黒い血糊とそれが溶け出した赤い水、わたしは硬直し、軽い吐き気をもよおし、股間に痛みを覚え倒れそうになった。りっぱなPTSDだ。そしてそれが「去勢」というものだと教えたくれたのは姉だったような気がするが、3歳年上の姉がその頃すでに「去勢」という言葉と意味を知っていて教えたのかどうかはちょっとわからない。

 さて、本題はここからだ。わたしの書いた「マムシと去勢」は、後日父兄参観日の国語の時間に読まされることになったのだ。が、わたしとしてはそんなところで読まされるとは予想もしていなかったから、正直に恐いと思うことを書いたつもりではあったけれど、ちょっとだけ先生と友達に受けたい気持ちと、覚えたばかりの「去勢」という言葉を何が何でも使いたいという邪心があったので、かなりふざけたあざとい作文にはなっていた。そしていよいよ朗読である。
「ぼくの恐ろしいと思うのはマムシと去勢です……」教室がどよめいた。去勢って何だ? と言っているようだった。シメシメである。
「マムシはいろんな所に隠れているので下手に小便もできません。例えば聞いた話ですが山道を通っているバスの女のバスガイドの人が……」
 わたしは嫌なお調子者である。雰囲気を読むとさらに悪ふざけが過ぎる質なのだ、乗り乗りになっていった。
 しかしいくら無邪気な子供の作文とはいえ、大きな朗々とした声で“マムシに股を噛まれた女のバスガイドが……”とか“豚の金玉、き・金玉が……”と、もうわざと演出気味にどもったりして連呼したため級友たちは大喜びしたが、父兄たちには大ひんしゅくをかってしまったようなのだ。そして担任の大迫先生はさすがにその場の空気を読んでマズイと思ったのか「ああ、もうよか、もうよか!」とストップをかけるという授業参観にあるまじき、前代未聞の事態にあいなったのだった。村で小インテリを気取っていた母は当然泣いていた。

 父が同じ小学校の教師だったので大迫先生はその後も我が家によく飲みに来たが、母はずっと大迫先生を嫌っているようであった。坊主の汚い袈裟を蔑むようなところがあったが、母もまだ若かったということだろう。大迫先生は外見があまり綺麗ではなかった。
 しかしながら「マムシと去勢」はその後大迫先生と大笑いしながら多少の書き直しをして、結果、鹿児島県作文コンクール・小学生の部で「教育委員長賞」をもらってしまった。そしてわたしはわずか10歳にして「嘘(フイクション)」に目覚めてしまい現在に至る訳である。
 よくよく考えるとそれこそいちばん恐い話ではあるなあ。




             





某月某日某所某笑
マムシと去勢