2011年7月11日(月)「 クロダイ44Cm 」

 武蔵野美術大学の1年生の時、デッサンの作品が「アトリエ」という技術書に取り上げられたことがある。自慢話ではない。いい作品としてではなく悪い作品としてだ。
 デッサンというのは真っ黒な部分と真っ白な部分との間に、より多くの諧調(グラデーション)が有る方がリアルに見えるし量感とか質感が描かれていると評価されるのだが、わたしの作品はグレーの諧調がすくなく、黒と白のコントラストが強すぎてまるで太陽を背に立つモアイ像のような雰囲気になってしまっていた。ま、言い訳のように聞こえるかも知れないが、その頃そういう絵が好きだったのである。
 助手の「勉強中なんだから好きなように描くんじゃなくて、教授の目にとまるように描かなくちゃ損だろう!」の一言に大いに反発したわたしは、以来コントラストの強い絵を描き続け、それは考え方や生き方や行動すべてに反映することになった。つまりだ「極端人間誕生」とあいなった訳なのである。

 恋愛で言えば「愛」か「憎しみ」かのどっちかだ。友達関係というのが持てない。中途半端なのは嫌だから、金持ちになれないのなら貧乏の方がスッキリしていていい。スーパースターになれないのなら歌手なんか止めちまえ! とまあそんな感じである。身長だって180Cm以上ないのなら、163Cmの方が部屋が広く使えていいのである。
 若い頃手相をみてもらったことがあるが「毛沢東と同じ手相です。大人物になるか極悪人になるか、どっちかでしょう」と言われた時は実に嬉しかった。そうだろう、そうだろうとニヤニヤした。


 で、本領発揮である。釣れるのは10Cmほどのフグとカレイとイワシばかりの中で、最後の最後に44Cmのクロダイを釣り上げた。安物とは言え竿が折れ、リールが馬鹿になるほどのファイト。こんな堤防の先っちょにこんな奴が住み付いていたのか、と自身の目を疑った。下顎が縦に割れているところから察するに、何度も「釣られては逃げ、釣られては逃げ」を繰り返してきた奴に違いない。
 これだから「極端好き」はやめられないのである。「極端運命」とも言える。
 
 場所は、いつもカヌーで遊んでいる栗山川の河口。波が足首を洗う、低い小さな堤防の突端だ。まだ大物が居そうだ。やる気のある人は九十九里まで来てチャレンジするべし。もっとも、その前に全部わたしが釣ってしまいますけどネ!




                




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わたしが釣ったのに「獲ったどー!」と妻が叫んだ。
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小さな堤防で釣れた。

これも食べるよ私、と妻

興奮が右手に表れている

刺身と焼物

命を尊び、残らず食おうぜい
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