野田知佑カブレのタイトルですなあ
2011年6月12日(日)「 栗山川ふたたび 」

 鮭が遡上する川の南限と言われている(た?)栗山川へ行く。以前、九十九里に流れ込む近辺の川を見ておこうと訪れたのが2008年の4月だったから3年ぶりのことだ。“鮭が遡上する”という点については実際のところは眉つばものだろうとは思うが、まあそう大書きされた看板は建っているし、そんな川で遊んでいるんですよ〜なんて人に言うのには、一応聞こえがいい。水はそこそこきれいだったし小魚がとても多かったので、のんびりカヌーで遊ぶには栗山川と決めていたようなところがある。
 
 自宅を出発して1時間10分で到着。山武市である。
 しかし川辺に立って愕然としてしまった。良し悪しは別にして、岸辺にきれいに整えられたボードウォーク(木道)がことごとく破壊されている。カーブした辺りは川底ごと引っ掻き回された感じで、沈めてあったらしい底石の塊がわずかに残された木道に打ち上げられて残されたままだ。3.11津波の爪跡である。
 地元の老人と話をする。
「けっこうなあ、すごかったですよ。上流で堤防を超えたところがありました」
「鮭の遡上も、今年はもうダメでしょうかねえ?」
「アハハ、鮭はあんた、30年も前の話じゃよ。でもなあ、河原がホッチャレ(産卵後の死骸)でいっぱいなのを見たことがあるよ。イクラを採る小屋がこの辺りにはいっぱいあったなあ。津波で色々無くなったからやり直せば鮭もなあ、また戻るかも知れん」」
 老人はわたしが冗談で言ったことを知っていた。かといってさらに冗談を膨らませたわけではない。ホッチャレのことはきっと本当の話だろうと思う。その頃はいい川だったのだ。少しばかり北の那珂川は鮭が戻ってきている筈である。“人間のやりすぎ”に30年前に気づいていれば「鮭の戻る川」は残せた筈なのだ。
 
 支度を始めて15分後、カヌーを水面へ降ろし、上流へ向けて漕ぎ出す。ライフベストを忘れるという信じられない失敗をしていたが、ここまで来ていて引き返す訳にはいかない。転覆したら死ぬだけのことだ。カナヅチとして正しい死に方である。まだ船底にフィンを付けていないので相変わらずクルクル回る。食器のボールに乗っている感じ。
 ある程度漕いで川の真ん中に止り、流されるままの時間をすごす。遠い悠久の時間を思い、人生とはいったい何であるかなどと考えればいいのであろうが、なかなかそう上品には行かない。
 急な異動で環境が変わり、相当に辛い思いをしている若年女子の友人がいるのだが「辛くて線路に飛び込もうか迷いました」などといったメールをよこすものだから、頭の中はパニック親心一色になってしまっている。
「親はいます!」といわれればそれまでだし、血縁のない親子?だから無責任を言うのだが、人生とことん逃げる時っていうのがあってもいんじゃないか、などと逆説を思う。心の準備ができていない状態でのパンチはカウンターになるのだ。流されては漕ぎ、漕ぎ上がっては流されるを3回くりかえす。

 少々ヘッピリ腰ながら2時間遊んで終わり。陸へあがって乾かしている間、セルフタイマーで自分写真を撮る。両手ピースサインをしたものもついでに2.3枚撮る。若年女子に笑かしメールを送ってやりたい。
「吐き気がしました」などとメールが返ってくればいいなあ。元気を出して欲しいよ、まったく。
 
 興味深深でゴムカヌーを見にきた地元の人が、帰り際に「またどこかで会いましょう」と挨拶して去って行った。とても気持ちのいい言い方だったので「そうですね、また会いましょう」とわたしも答えた。
 こういうのにわたしは極端に弱い。おそらく次も栗山川かも知れない。


 

               




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残った木道の上には津波で打ち上げたれた石塊が乗ったままだ

荒れた岸辺だが、新しい葦の葉がびっちり生えてきていた

この水門は生き残ったようだ。当日は閉めたのだろうか?

橋脚部分を見ると結構傷んでいる。すごかったんだろう。

たまにはセルフタイマー。結構いい腕してるだろ?
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