ニゴイが増えたってことは、
 水が汚れたってことなのよ
2002年4月14日(日) 近藤沼にて
「おーっ、すごいすごい、やりましたね!」
 釣り人はそう言われるのを待っている。わたしもそうだ。人にそう言われると嬉しさも倍になるものだ。ただし「よっ! 日本一」とかいうのは止めた方がいい。一度、毛バリでオイカワが入れ食いになった時、まったく釣れないものだからクサッてしまった“餌釣り師”に隣でそれをやられてケンカになったことがある。

 近藤沼は群馬県の館林市にある湖沼だが、大規模な総合公園のような施設の一角にあるせいか周囲をきれいに護岸整地され、わたし的にはあまり魅力を感じない。しかし某日、ご近所の芝川で、手を頭の上で触角のようにやたらと動かしながらしゃべる鈴木さんという人に会い(彼はフライで鯉を釣るのに全情熱を傾けていた)、フライの釣り場情報として教えてもらった場所だった。
「多々良沼のワタカの倍ぐらいのやつが釣れるんだすとも!」
 倍? 50Cmのワタカと聞いた日にゃあ、元祖ワタカ師匠としては放ってはおけない。

 122号を北上し館林市に入り、354号との交差点を左折して1〜2Km走ると左手に近藤沼が見えてくる。カブを置いて湖周をぶらついていると、まさに今、魚をつりあげたばかりのオジジイに遭遇した。お約束の“よいしょ”をすると、満面に笑みがあふれた。
「やりましたね、すごいすごい!」
「いやあ、お陰さまでねえ。鯉釣りをしてるんだけどねえ、こいつがかかってしもうたよねえ」
 彼が見せてくれたのは30Cmほどの“ニゴイ"だった。 頭がなんとなく角ばっていて骨っぽく、口も普通の鯉より突き出している。頭に比べて体の大きさがやや貧弱で顔つきも三木のり平さん似の愛敬はあるが、どこかしらずるがしこそうな陰湿さも感じられ、わたしはあまり好きではない。ニゴイを見る度に思い出すのは“めざし”である。中学の時、かわいそうに“めざし”というあだ名の女がいて……(脱線強制終了)。

「ニゴイでもいいじゃないですか釣れれば、ねえ。写真撮らしてもらってもいいすか?」(パチリ)
「あらら、もっとでっかいの獲ってから撮って〜、な〜んてね!」(アン?)
 誉められるとダジャレも出しやすくなるらしい。警戒心も薄れる。(余談だがへらぶな釣りの人は声をかけると迷惑がる確立が他より高い)
「50Cmぐらいのワタカがフライで釣れるって聞いて埼玉から来たんだけどいますか?」
「え? ワタカ? 50Cm! そりゃ嘘だよ、でかいのは居るけど、かつがれたな。あんた他の釣り人を信用しちゃだめよ、どんな嘘ついてもいい世界なんだから、そもそもワタカは50Cmになんかならないよ、鯉もでっかいのは減った、増えるのはさっきぐらいのニゴイばっかりだよ」
「ニゴイでもいいじゃないっすか、どんどん増えれば……ねえ」
 わたしはニゴイもストリーマー(水中を泳がすフライ)を使えばフライで釣れることを思い出しながらニヤニヤとお気楽に返した。すると彼は急に表情を固くして話し始めた。少し怒っているようだった。
「ダメなんだよ。ニゴイが増えるってことはな、水が汚れたってことなんだよ、おたく達みたいに他所から来た人は、何でも釣れればいいだろうけどなあ」
「はあ………」
 わたしは一言もなかった。確かにわたしは他所者なのだ。フラリとどこかに出かけては、何が釣れた、何匹釣れた、と騒いでいる。自分としてはかなり気を付けているつもりではあっても、釣り場のひどい汚れ様には見て見ぬ振りをしてきたような気がするのだ。それを掃除しゴミを回収しているのは地元の人たちに違いなかった。
 黙ってしまったわたしに、オジジイはすまなさそうな顔をして言った。
「ジョン・レノンは知ってるだしょ?」
「は? ええ、まあ、あのジョン・レノンだしょか?」
 わたしはあまりの唐突な質問に、つい口調がつられてしまった。
「ジョン・レノンはさ、日本語の“お陰さまで”という言葉が大好きでさ、それで日本が好きだったんだすよ、そういうのはいいなあと思うだすよ、おれは」
 オジジイはそれからしばらくジョン・レノンについて語った。何かの「本」を読んで感服したらしかった。もっぱらジョンが好きだったもの、考え方、発した言葉についての話ばかりで、他のメンバーや曲の話がまったく出てこなかったところをみると、もしかするとビートルズのジョン・レノンではないのかもしれない、と考えたがそれはありえないことだった。ジョンが“お陰さまで”という言葉を好きだったという話はわたしも知っていたし、結構有名なことだからだ。
 オジジイの中のジョン・レノンは、おそらくビートルズでなくてもいいのかもしれなかった。

 フラリと訪れた近藤沼で、まさかジョン・レノンの話を聞かされるとは想像もできないことだったが、わたしは妙に気分が良かった。しゃべるだけしゃべって再び鯉釣りに没頭してしまったオジジイの背中に軽く一礼した。なかなかのオジジイであるような気がしたからだ。
「お陰さまで、か……」
 わたしは少し笑い、写真の右上隅に小さく写っている鯉のぼりのある所まで、釣り糸の切れ端やら、仕掛けの空袋などのゴミを拾いながら、クスクスとポチポチと歩いて行った。




              




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今日のオジジイ