「 きれいな舌 」

 最近、電車の中の広告シールで「きれいな舌」というキャッチコピーを見た。“きれいな肌”でも“きれいな瞳”でもなく「きれいな舌」である。なんとストレートで強インパクトなんだろう、わたしは密かに感動すら覚えた。
 商品そのものは「○○の○○……」とお教えしたいところなのだが、迂闊にもメモをとるのを忘れ、そのうち車中からシールが消え失せ今では皆目わからない。商品的にはキャンディのようなものだったような気がするが、リステリンのような口腔洗浄液だったかも知れない。キャッチコピーのすばらしさに打ちのめされて商品説明を読まなかった。「きれいな舌」でWEB検索してみたがエロサイトばかりがヒットして結局わからずじまいである。

 さて、こう見えてもCMやキャッチコピーにはちょっとうるさいわたしなのだ。VMCという音楽学校に勤めていた頃は、新聞や雑誌媒体の広告原稿やコピーを作ったりもしてたので多少はそれらの良し悪しに関しては分かるつもりではあるし、自論もある。
 生徒の募集が目的なので、そこがいかに“夢のある場所”であるかをアピールすればいいわけだが、事はそう簡単でもなく色々と制約も多い。PL法もあるし、誇大広告が社会問題になっている時代である。「プロになれますよ〜!」とは大々的にうたえないところが辛い。だってなれない人の方が圧倒的に多いのだからね。
「プロへの登竜門」「プロへのカレッジ」「プロへの挑戦」「夢をつかむ」など今思えば前時代的な当たり前の気恥ずかしいコピーが多かった。というより、最終的にそうなってしまうのだ。翔び過ぎ(死語?)ていたり、洒落を含んでいたり、今風若者言葉を使ったちょっとだけ冒険的なコピーをプレゼンすると、必ず保守的な一派がいて反対し丸くチビたものにまとめてしまうのである。掛けはしない、読める部分だけで仕事をしようとする人々が会社という組織には多いのだった。しかも決定権をもった管理者層に多い。
 たかが広告のキャッチコピーではあるけれど、それらからその会社の体質がうかがえる、というのは本当のような気がするのである。就職活動をしている方は是非1度、そういう目でCMを見てみると面白いかもしれない。
 
「きれいな舌」というコピーはあっという間(1週間ぐらい)に消え失せたので、もしかすると「売上に貢献できなかった」「経費が底を尽いた」「やっぱりダメだとボンクラ社長が横槍を入れた」「エロい感じでイメージダウンだとバカ会長が言った」等何らかの理由で打ち切りになったのかも知れない。こういうのを“下衆の勘ぐり”って言うのだが残念だ。
 しかし、もし仮にそうだとしたら、センスもないくせに口ばかり挟んでくる役員連中こそ「きれいな舌」なるキャンディを舐めさせた方がいい。
 賛同してくれる薬品メーカーがあったら、是非「腹黒い人たち」のための「きれいな腹」という名の下剤を開発して欲しいものである。




            





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