自ら人間に近づいてきた家畜は、犬だけだったそうだ
2011年7月1日(金)「 犬を飼うということ 」

 空(犬)を海で遊ばせたいが、そうするには夏という季節はそれなりに難儀なことが多い。夜明けが早いので急がないとすぐに暑くなる。犬は暑さに極端に弱い。汗をかかないので体温調節は“ベロ出しハアハア”でやるしかない。ベロは体温放散ラジエーターな訳だ。
 と、もうひとつ足の裏の火傷である。先日もカヌーの帰りに「ちょっと走らすか」と軽い気持ちで犬を砂浜に放り投げると、突然キャインキャインと悲鳴をあげた。砂が焼けていたのだ。四方八方に迷走する犬を追って抱きかかえ、飲料用冷水をぶっかけてなんとか事無きを得た。
 で「夏の間、空を海に連れて行きたかったら午前5時」という家庭内規則が成立。つまり4時起床ってことである。まったくなあ、もの好きなことだ。
 普通の散歩だって大いに危ない。アスファルトは日中60度にもなる。犬は地上50〜60cmの高さに頭がある訳だから、火傷もさることながら酸欠、熱中症になること必須である。我が家には猫も4匹いるが、猫に比べれば本当に犬は手がかかる。

 初めて犬を飼ったのは小学3年の時だった。飼ったと言えるかどうかは別にして、学校の裏庭にあった使っていない焼却炉の中をネグラにさせて、仲間たち数人で野良の子犬を一ヶ月ほどかくまった?ことがあるのだ。昔は捨て犬が多くて、出産の季節(盛りが皆春先だから生まれてくるのもだいたい皆同じ時期なわけである)には生まれたばかりの子犬をつめた箱が、よく川を流れていたものである。たいがいは箱ごと沈んで全滅なのだが、わたしたちの子犬はきっと何かのはずみで運良く陸にあがって来れたのだろう。黒茶の雑種のオスで「ジェット」という名をつけた。。
 食べ物を持ち寄り(酪農農家が多かったので牛乳が一升瓶に詰められて道端に置かれてあったりした。余ったやつで誰でも持っていってよかったのだ)仲間が交代で日に何度か外へ出し、学校が終わると山の隠れ家で皆でさわり回した。みるみる内に大きくなったのはいいのだが、焼却炉から出たがって中で鳴くので、とうとうある日先生に見つかってしまったのである。時代が時代だから情操教育とか心に与える影響とかそんな生っちょろいことなんかカケラも有りはしない。「捨ててこい」の一点張りだ。おまけに箱に入れてまた川に流すように言われた。しかしわたしたちはそれができず、結局林道を歩いて隣村まで行き、貧しそうではあったけれど一軒の農家の庭先にジェットを置き去りにした。
 帰りの林道から遠く海が見え、飛び魚の群れが描く白い線がはっきりと見えたのを何故か覚えている。

 そんなことがあって、わたしが始終黙りこくっているものだから、それから数ヵ月後、母が知り合いの家から真っ白なモヘアの塊のようなスピッツの子犬をもらい受けてきた。自動車が1台も無く、交通は農耕用の馬車で、学校の教師以外サラリーマンが一人もいないような半農半漁の村である。スピッツの子犬はまぶしかった。オスなのにハッピーという名前も軟派な感じで嫌だった。しかし、おもはゆい思いをしながらもわたしはその犬と片時も離れることなく友情を深めていった。そのせいかどうかますます無口になってしまい、かえって母は心配したようだったがそれは別に犬のせいではない。思春期、親離れ…そんなことだ。犬といっしょにいる時間がますます長くなっていった。
 18歳で東京へ出て、犬とは1年に1度帰省の折にしか会えなくなった。外で飼っていたので、家に入る前に裏の犬小屋の方へ行ったものだ。「家族より犬の方が好きね?」と母は嘆いたが、確かに犬の方が好きだったような気がする。
 わたしがまた東京へ戻った後の2、3日などは、ずっと駅の方を見つめていたそうだ。犬は人の7倍のスピードで歳をとるといわれているから、彼にとってはわたしは7年に一回会える友人だったのかも知れない。
 そんな状況だったので、わたしは彼の老後をあまりよく知らない。父がとてもやさしい人だったので、毎日欠かさず散歩をさせ面倒を見てくれた筈だ。しかしあの頃、犬の食事は人間の余り物だった。塩分のことも糖分のことも何も考えずに与えてしまっていた。犬猫はたいがい癌で死ぬから、そんな食事はどんどん癌の発症を早めることになるのである。彼は13年しか生きられなかった。
 ある夏の日、帰省して裏の犬小屋へ行ってみると、一直線に伸びきった鎖の先に首輪が付いたまま、それはまるで何かのオブジェのように残されていた。わたしは家に駆け込み「ハッピーがいない、ハッピーがいない」とわめいた。父と母は何が起きたのか分からずしばらく呆然としていたが「知らせるとショックだろうと思ってなあ」とだけ言った。
 その気持ちは解らないでもなかった。しかしわたしがその日帰ってくることは分かっていた筈なのだ。せめて鎖と首輪ぐらいは片付けておいて欲しかった。
 獣医に世話になることもなく、ある朝彼は冷たくなっていたのだそうだ。父は彼を毛布にくるんで抱いて海に行き、砂浜に穴を掘って埋めてあげたと言った。彼の大好きだった砂浜である。わたしは少しだけ救われた気がしたが、その夜酒を飲みうだうだと両親にからんだ。犬との友情が云々、自分にとってハッピーがどれほど大切だったか云々と語り続けたが、両親には何も伝わらなかったようだった。
  

 今犬を飼っていて、別に過去にかかわりのあった犬たちに対して「罪滅ぼし」をしている気持ちはない。しかし空の寝顔を見ていて、これまでかかわった犬たちのことを思い出すことは度々ある。
 女性の寝顔を見ていても、それまでかかわりのあった女性たちを思い出すことは無いので、まあわたしの場合は犬への情の方が圧倒的に深いのかも知れない。
 屁理屈とはこういうことを言う。




                 




mk
      
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