フェチ
06年7月28日(木)「 フェチ 」

「色々やってほしいことがたくさんあるでな、来てくれんね?」
 83歳のオフクロから電話が入る。もう歳が歳なのでオフクロの頼みは無条件に100%聞いてあげようと心に決めてはいるが、久しぶりの休みだし昨日買った葡萄(鉢植えで5房も実がたわわに成っている。¥2980也)の絵を描く予定もあったのでわたしはちょっと渋った。
「来月3日の誕生日(母の)にはみんなで行くから、そん時じゃだめな?」
 言った直後に“かわいそうなことを言ったかな”と思ったが、オフクロの方が上手だった。“くすぐり所”をよ〜くご存じだ。
「今年はなあ、庭のイチジクが大成りでなあ、早く穫らんとぜ〜んぶ鳥に食べられそうなんよ〜!」
 弱い所を突かれた。わたしは「イチジク? 1時行く!」と即答していた。

 わたしは果実フェチである。種子フェチでもある。先祖が南洋の海賊なので(母の旧姓が鮫島だ)、さらにさかのぼればマレーシアあたりの”吠え猿”に違いない。南方系のくだものをみるとたまらなくうっとりしてしまう。食べたことがなくてもだ。さらに食べたくだものに関しては種をきちんと乾燥させてとっておく性癖があり、今やコレクションも数十種類になった。前世がリスの可能性もあるかも知れない。鹿児島の家にあった時計草の種もまだある。それらをどうするといったあてなど無いのだけど、将来どこかについの住処を見つけられたらメネデール(発芽促進剤、“芽根出〜る”の意味らしい)の力を借りて発芽させたいと密かに思っているのだ。
 妻や娘の食べたものの種まで回収を強要するので、彼女たちには大いに気持ち悪がられているが1粒でも多い方が発芽率は上がるはずなのだ。

 オフクロの所用は大量だった。銀行、税務所、寿司屋(そりゃあ昼飯も食ったさ、飾りもののモンゴルの岩塩を削って舐めさせてもらったが旨かった。甘味もある)、デパート、スーパー、100円ショップ、K’s電気(テレビ購入)。もうヘトヘトである。オフクロは耳が遠いので、わたしはその都度“通訳”もやらなければならない。テレビ購入も“配達を待ちきれない”というオフクロの意を汲んで自身で運び、配線した。腰がキリキリ鳴った。
 イチジク収穫は夕方になってしまった。しかし今年のそれは突然変異で木の種類が変わってしまったのではないかと思わせるほどのもので、実が大人の拳ほども育っているのだった。浣腸にすると5人分ぐらいはある(話は変わるがイチジク浣腸っていうネーミングは素晴らしいね)。2つ割りにしてみて観察する。ビッシリと果肉が詰まり、自然物だけが持つ不思議な色合いだった。わたしはじっと見つめながら、絵の具で描くなら何色と何色と何色を混ぜて……と入り込んで行った。他に例えようのないカルトな色彩世界がそこには有り、素人を寄せつけない雰囲気にあふれている。昼間舐めたモンゴル岩塩に似ていた。半透明の薄ピンクの宝石の粒を敷きつめたようだ。グングンとミクロの世界に入り込む。遠い古代からほとんど変化及び進化をしていないらしいその果実の持つ厳かな桃色DNAの世界に、わたしは静かに浸ってしまった。光の画家といわれるモネが、悲しみを感じながらも、死に向かう妻の顔色の変化を観察したごとく(見たんかい!)、無言の時間がたくさん流れた。
 わたしは神の啓示を感じた。
「悩める子羊よ、くだものの絵を描きなさい。ついでに種も描きなさい。よだれを垂らしながらくだものの絵を描いているお前が一番美しい。お前は“吠え猿”なのだ、リスなのだ、画号は“フルーティー・小林”で決まり」

 わたしは、昨日葡萄の鉢植えを買ったこと、それを絵に描くつもりであること、妻が美大時代の知り合いで信用出来る画家たちの絵をインターネットで販売していること、わたしも描くように勧められていること、が何をテーマに描きつづけるか模索中だったこと、そしてイチジクの断面を見ていて決心したこと、などを母に話した。
「花とか風景とかではダメじゃっとな?」
「ああ、他にも絵描きさんがいるからなあ、なるべくかち合わんようにせんと」
「そげなフェチな絵は売れんよきっと、止めた方がよか、せっかく美大まで行かせてやったとに、まともな……」
 わたしは、83歳のオフクロが“フェチ”という言葉を使ったことに大いに驚いた。が話すうちにだんだん解ってきた。オフクロは“エッチ”と“フェチ”単に間違えただけらしいのだ。わたしが「ざっくり割れたザクロなんか素敵」などと言ったせいだろう。
 わたしはもう一度、じっくりと「ジュクジュクイチジク」を観察した。
「フェチとエッチは近いかも知れん、ウーム深い!」わたしは一人悦に入り、コソッと辞書を引いてみたりした。
 
 


            



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