藤の花
06年5月4日(木)「 藤の花 」

 毎年言っているような気もするが、今日は父の命日である。ゴールデンウィークのまっただ中に法事があると、まず泊りがけの遠出はできない。父が死んで、以来9年間拘束されている。「遊びほうけてんじゃないぞ」という父の遺言なのだろうともうすっかりあきらめた。心の老化かもしれない。フィールドノートさえ最近は「墓参り日誌」になりつつある。ヤバイ。
「だめじゃないの、根性入れて遊ばないと」と妻が言うので今回は少し知恵をしぼった。お寺及び墓参りに行く前に、土気(とけ:千葉県)の山川で遊ぼうという訳だ。ちょっと走れば海もある。
「明日10時にお寺に集合だから、その前に遊ぶとなると……、家を4時半に出るとして起きるのは4時な!」とわたし。
「まかしといて! 目的さえあれば目覚まし時計なんか要らないから」と妻。
 しかしだ、わたしたちにはアラーム音がまったく聞こえなかった。起きたのは6時だ。1時まで絵を描いていたのがまずかった。法事にも遅刻しそうな時間である。飯も食わず、コーヒーも飲まずに車を飛ばす。ところがラッキーなことに、連休で混んでいる筈の「九十九里浜への道」も嘘のように空いていて、まあ一般道を時速80kmで飛ばしたこともあり2時間で着いてしまった。余裕のヨッチャンである。
「オカミさん、1時間は遊べますぜ、タケノコでも掘りやすか?」
「きょうはねえ、ダンゴより花っていう気分だねえ、あたしゃ藤が見たいんだよう。それにねえ、挿木で鉢植えにもしたいから蔓も少しばかり持って帰りたいねえ、トメさん」
 トメさんって誰だかしらないが、まあそういう訳で裏山に入った。妻はさっそく蔓を物色し始め、わたしを置いてどんどんと先へ進んで行った。わたしはまだ腰の具合が思わしくないので薮に突入する気になれず、歩道からぼんやりと藤の花を眺めた。木々のみずみずしい新緑の表面に上品な薄紫の粉末をひとにぎりまぶしたように咲いている。いつだったか名栗の山道をカブで走っていた時、ひとつの山がまるまる紫に見えたことがあった。藤は静かで厳かな紫だ。

 職場の同僚が“大動脈破裂”で突然死んでしまった。52歳、わたしと同じ年だ。そしてそれとはまた別の同僚が食道癌で“余命6ヶ月”を宣告されてしまった。こちらも52歳。会社とては別の人間を補充すれば済むことだろうが、仲間の気持ちはなかなかそれでは納まらない。せめてまだはっきりしない内は、帰ってこれる(かもしれないじゃないか)席を残しておいてあげたい。かなりハードにスケジュールをカバー、時間をやりくりしている。
 ペンネームを別にして自分のスタイルを壊すような長文に挑戦している。絵も描いている。音楽もまだ面白いし、CG(コンピューターグラフィック)も始めた。暖かくなったのでバイク旅もしたい。そのためにはカブの足回りを改造しなければならない。釣りはライフワークだ、今年のテーマはフライで鯉だ。

「こんなに気が多くて忙しいんじゃ、千手観音にでもならなきゃ無理だなあ」
 わたしは両腕の角度をランダムに変えて、放射状に伸ばしたり縮めたりしながらひとりでブハブハ笑った。千手観音像には本当には何本の腕が彫ってあるのだろうか?
「コバヤシさ〜ん!(彼女は外ではわたしをそう呼ぶ) あの枝が欲しい、届かないから手を貸しておくんなさい!」
 妻が頭上はるかな藤蔓を指さして遠くから叫んだ。わたしはさっきと同じように腕を秩序なく動かし「千二手観音、千二手観音」と言いながら藤の群生に近づいて行った。




             




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