春、近からじ……
06年2月11日(土)「 春近からじ 」

 妻の友人で日本画家の春山うめさんが「花を探しに行きましょう」というので、わたしはアッシー君をやることになった。春山さんは日本画の先生だが、妻が先生に水彩画を描くことを薦め、その絵を妻がヤフーオークションで販売している。美しい花の絵が多いので、かなりの枚数をすでに売っていて購入者の評判もすこぶるいいらしい。ハガキ3枚半ぐらいの大きさで、額付きで¥3500から出しているようだ。個展で販売する場合などはその5倍ぐらいの値はするから、わたしは妻に「先生に失礼じゃないのか?」などといつも言うのだが、乗りかかった船というかなんというか先生の方も「水彩画は材料費が安いですからいいですよ」などとおっしゃっているらしい。
 そんな訳で、妻が普段世話になっている関係でアッシー君もしかたないのである。もののついでにわたしの版画も出品してもらっているが、わたしの版画などは半年に1枚ぐらいのペースでしか売れないから、オーナーである妻もわたしの作品になど最近まったく力を注いでいないようなありさまだ。
「ご主人の版画は手も込んでていいんだけど、お部屋に飾ると部屋中が寂しい雰囲気になりそうだものねえ」
「そうなのよ、明るい絵はいいよなあ……なんて言いながら自分ではドロドロした絵を描くのよねえ、根暗なのよほんとうは」
 ドロドロ? 見沼の農道を走りながら、わたしは脱輪しそうになった。47歳の女ふたり、後部座席で好き放題しゃべっている。自分が売れているからといって春山先生までも調子に乗ってウフッ・ウフッ・ウフフと笑った。
「去年のフィールドノートの2月3日の“早咲きの梅”のところへ行ってみてください、今年ももう咲いてるかしらねえ」
「ヘイ、かしこまりましてございます」
「菜の花がありそうな場所をご存じないかしら? まだかなあ」
「ヘイ、かしこまりましてございます」
 わたしは今日一日、奴隷になることを宣言した。
「ボケとかスオウはまだ無理かしら? 知ってたらお願いね。ああ、それからイギリス式に奴隷は返事の後に“サー”を付けなくっちゃねえ。“イエス・サー”みたいに」
「ヘイ、わかりましたでサー、そうしますでサー」
「ちょっと“サー”の使い方が違うわねえ」

 2月の中旬にしては信じられないほど今日は特別に暖かい。しかし例年に比べるとやはり平均気温が低いらしく、梅も菜の花もスオウも見当たらなかった。「春近し」という意味の英語で「Spring is around the corner」(春はすぐそこの角を回りましたよ〜)というのがあって大好きな表現だが、まだまだその辺の角には“お春さん”はいないようだった。
 陽溜りのなかで遠慮がちに咲いたロウバイでなんとか目を和ませたが、本格的な春はまだ先のようだ。しかたがないので、わたしのお気に入りの鈴懸けの木などをお見せしてごまかす。少し感動してもらえたのか写真を撮っておられた。ツバキもダメ、ボケもまだ2分、狂い咲き無し。この野に花無し、面目丸つぶれである。大崎の熱帯植物園に寄り蘭の温室をご案内、野の花ではなかったがなんとか興味をいだいてもらえたようであった。
 わたしはパパイヤ、カカオの実の写真を撮った。

 家に戻り、「もう帰りますよ」という先生を無理矢理引きとめて“牡蛎鍋”の準備をする。牡蛎は、昔わたしのファンだったという広島の中島木綿子さんが送ってくれたものだ。届いたその日にかなりの量を生で食べたが、食べきれず冷凍にしてあった。身が巨大で煮た後でも7〜8Cmもある。血統書付きの牡蛎だ。
「小林さんは最近、ホームページを読んでると昔取ったキネヅカでもらい物ばかりしてますね、この前はホッケだったでしょう」
「ありがたいことでサー、助かってまサー」
「他人に物をねだるようなことをしてはいけませんよ」
「わかってまサー」
「なんて言いながらネ、わたし、まだ房総のフラワーロードとか行ったことがないんですよネ、近々にスケジュール作りますからまた3人で行きましょう、お弁当持ってネ。それにそんなに好きならまた“奴隷ごっこ”してあげますから」
「別に好きなわけではないでサー、でも房総は行きたいでサー」
「“サー”の使い方がちがうって言ってるでしょう!」

 啓蟄(けいちつ)もまだまだ先だが、わたしたちは春を待ちきれずにうごめく虫たちのように飲んだ。

  ※啓蟄  二十四節気の一。冬ごもりの虫が地中からはい出るころ。太陽暦で三月六日ごろ。




             




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