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「 ギターマンコンテスト 」

 CNNニュースか何かで「ギターマンコンテスト」とかいうものを観た。つまりギターは弾けないけれど、ハードなギター演奏に合わせていかにも弾いているように振る舞う「形態模写コンテスト」である。
 最初は「いかにもアメリカらしい馬鹿なコンテストだなあ」と思ったのだが、よくよく観ると個々に実に研究しており芸も細かい。そりゃそうだ、何百人の応募者を蹴散らして豪華賞品を勝ち得るには、並みたいていの努力じゃ済まないのである。その辺のところが、またアメリカらしいと言える所以。馬鹿馬鹿しいことにものすごいエネルギーをかけている。ちょっと見習わねばならない点もある。
 ギターマンコンテストの様子を観ていて、わたしはボーカル講師時代の生徒T子を思い出した。音楽学校では年に1度「ボーカル公開オーディション」というのをやっていて、まあプロデビューするきっかけにもなるし、たかだか300人ぐらいの在籍者の中で1番になれないで「プロになりたい」もなかろう、と大いに学生たちは意気を上げるのだった。
 テープ審査で60人、予選会で30人になり、都内の某大ホールを借りての本選会出場者は10人に絞られる。本選会には多数のレコード会社のプロデューサーやディレクターが客席に招待されているし、そもそも彼等からの「声かかり」が1番の目的な訳だから本選会への出場、本選会での企画、出来、それらが出場者の将来を左右するのだった。
 T子は狭き門を突破し、本選出場を決めた。10名の出場者の内6名がわたしの教え子ということもあり、わたしも一人一人に作戦を授けるのに大忙しだったのだがT子に関してはちょっと苦労していた。歌はうまいのだが地味なのだ。ロック系の曲が大好きで、そのへんには彼女自身の強いこだわりがあるようだった。わたしは歌唱の指導はもちろんだが、衣装・表情・自己紹介のしゃべり・立居振舞い・口のきき方までアドバイスした。彼女にはいろいろな意味で才能があったのでそれらをクリアしていき、準備は整いつつあった。
 しかし最後まで結論が出せない問題が1つあった。彼女の歌う曲は間奏が1分もあったのだ。ハードなディストーションエフェクトのギターが1分間鳴り響く。バンドの生演奏ならギターリストが前にせせり出てくれば絵になるところだが、あいにくその年の本選会は予算の関係でカラオケになってしまっていた。1分間の間、彼女はだだっ広いステージの上で何をすればいいのだろう? 誰も結論を出せないまま本選会はズンズンと近づいて来るのだった。

 まあ、ここまでくればお察しの通りである。指導力のないわたしを笑いながらT子は一生懸命考えたに違いない。半ば開き直りの心境で彼女は間奏が流れている1分間、ハードギターを彼女自身が弾いているようなパフォーマンスをすることに決めたのだった。健気過ぎて涙が出る。
 黒皮のツナギを着て長い髪を振り乱し、T子はミック・ジャガーのように歌い出した。本番では外せよ、と言ったのに黒ぶちのメガネもそのままかけていた。その「なり切り振り」がどことなく恥ずかしく、観ている方が照れるぐらいだ。わたしは「ま、いいか、間奏もこのままの雰囲気でなんとかやり過ごしてくれ」と祈っていたのだった。
 そして間奏の部分がやってきた。彼女はひとり、乗りに乗って絶叫した。
「ヘ〜イ! ギター!」
 その後は彼女の独断場である。ステージの端から端まで走りまわり、ギターの弾き真似をしながら踊り狂ってみせた。最後は床を転げまわりながら、それでもギターを放さなかった。いや最初から持っていないのだった。もう注視するのも恥ずかしく、客席の全員が下を向いて涙を流した。わたしは立場上笑ってはいけないことは分かっていたが、堪えればこらえるほどブブッ、ブブッとおかしさがこみ上げてくるのだった。

 プロの審査員の見る所はやはり違うのだ。祝福はしながらも、だれもが「信じられない」という顔をした。T子は「審査員奨励賞」というものを受賞してしまったのだ。
 いつもの事だったが、学生たちは賞の行方でその後の自分の方向性に少し迷いを見せた。その後しばらくわたしのクラスでは間奏前の「ヘイ!ギター!」が流行ったのは言うまでもない。わたしは「楽器ぐらい変えろよ!」とくだらないことを言った。




             





某月某日某所某笑
ギターマン・コンテスト