「  仇討ち許可証  」

 6、7歳の児童が殺される、及び行方不明になっているといった事件が3件立てつづけに起きてしまった。今日(12/5)現在、広島で起きたものに関してはペルー人が逮捕されたが、あとの2件はまだ犯人がわかっていない。
 子供を殺された親の悲しみというのは筆舌に尽くし難いものだろうし、想像などではその1000分の1も理解はできないだろう。ましてやわたしのような無責任放言男がそれらについて勝手なことを書くなど、実に不謹慎であるということはよく分かっている。しかしだ……。

 犯人が逮捕されたりすると、マスコミというのは寄ってたかって悲しみのドン底にある父親にコメントを求めたりする。わたしは「そっとしておいてあげなよ」といつも怒りをおぼえるが、ピュアな父親は律義にもそれに応えるのだ。
「偉いなあ」とわたしは本気で感心する。わたしよりたいがいは若い父親だが、壮絶な悲しみを経験すると人は若くして何かを悟ってしまうのだろうか。
「いくら犯人を殺してやりたいほど憎んだとしても、もう○○ちゃんは帰ってこないのです。わたしたちに今できることは、今後2度とこのような悲しい事件が起きないよう願うばかりで……」
 それは本心なのだろうか? そんなにすぐに、まるでマスコミがお膳立てしたような心境になれるものだろうか。わたしには無理だ。

 わたしは、もし自分の娘がまったく無関係な奴に“通り魔的”に殺害されたとしたら絶対にその犯人を殺すと思う。もうなりふりかまわず人生を捨て、取り乱し、狂人の目になるだろう。自ら犯罪者になる決意をし、不可能だと分かっていても護送途中の犯人を襲撃するかもしれない。
 さらに性的な暴行をも受けたとでもなれば、殺すだけでは気が済まない。犯人を監禁して1Cmずつ陰茎を切り刻み同じ痛みを味わってもらわねば気が収まらない。陰茎を根元から切り落し、生かしておく方がいいかもしれない、と考えるかもしれない。至命傷を与えず目玉をくり貫き、舌を抜き、指を1本ずつ落として山林の中にころがす。むずかしい事は考えない、同じ痛みを同じだけ、もしくは倍にして返すことだけに全精神を集中させるだろう。人権などは100%無視だ。性的犯罪を犯すような奴に人権は無い。
 わたしは聖人君子ではないので先ずは人を憎みたい、罪は自分の犯したものもまとめて後で憎めばいい。きれいごとは無しだ。子供を理不尽に殺された親にだけは「仇打ち許可証」を出すべきである。

 20年ぐらい前の“2時間ドラマ”でそんな内容のものがあった。妻と2人で観たが、彼女も妙に熱くなって主人公に共感していたことを今でもはっきり覚えている。
 子供にはまったく落ち度のない状況だった。犯人は飲酒のはての暴走。交通事故で子供をなくした母親(丘みつこが演じていた)は、謝罪も反省もない犯人に憎悪・殺意を抱く。報復は許されるはずもなく、殺意を感づかれて母親は当局にもマークされてしまうのだ。しかし彼女は冷静に殺意を維持させる。自分のすべてを犠牲にし深く潜行して計画の実行をもくろむのだ。
 車の免許、ライフルの免許を取得し、ついに何年目かのある日移送される途中の犯人にライフルの照準を合わせるのである。細かい場面の心の動揺があって、普通なら“罪を憎んで人を憎まず”的なラストを迎えるところだろう。当然わたしもそういう筋書きだろうと予測し、鼻で笑いかけていた。
 ところがその2時間ドラマは違ったのだ。彼女は何年も抱き続けた“殺意”に終止符を打つべく、思い切りよくトリガー(引きがね)を引いた。犯人は頭をスイカのように破裂させて即死する。そして“恨みをはらした後の空しさ”のようなエンディングを迎えるのかと思いきや、彼女は達成感の喜びに震え、その結果を息子の墓前に微笑みながら報告するのであった。
 悲壮感などどこにもなく、人権がらみの“きれいごと”や“おためごかし”もどこにもなく、ただただ爽快なエンディングだったのだ。日本のドラマには珍しいパターンだった。

「世の中に根っからの悪人はいない」というのは嘘である。根っからの悪人は掃いて捨てるほどいるのだ。そして現代、奴等はますます増えつつある。仇討ちされていい犯罪者はゴマンといるのだ。西洋思想で言うところの、いわゆる“悪魔”である。「その時わたしの中に悪魔が入ってきて……」というのは嘘である。おまえは生まれつき悪魔なのだ。
 そういう思想からなのだろうか、欧米には性犯罪常習者に絶対に外せない「発信機内蔵のリング」を付け、レーダーで常に監視している州もあると聞いた。人権擁護団体が目ん玉をひんむきそうな条例だろうが、そんな時代が遅かれ早かれ確実に日本にもやってくる、日本人はやさしすぎる、おそらく。

 どうなんでしょう? わたしもまたある意味で異常者かもしれないけれど、あなたは自分の幼い子供を見ず知らずの他人に理由も無く殺された時「犯人じゃなくて、その罪を憎みます」と言えますか? 犯人の親の気持ちを考え、自己を押さえる自信がありますか? 
 わたしの回りには今のところ聖人君子はひとりもいない。 そして逆の立場、「悪魔の親」になったとしたら「始末は自らの手で」というのが、悲しいけれど大方の意見だ。単純で「いい人」が多い。




            





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