「 ゆかりんに会いたい 」

 “ゆかりん”って誰だ。そういえばいつの時代にも芸能界には○○ゆかりって人がいるような気はするなあ。

 フォーライフの新人オーディションに優勝した時、わたしはまだ武蔵野美大の2年生だったのでそれなりに悩んだ。まあ、小学生の頃から諸々の独唱コンクールで何度か優勝し、音楽というジャンルでは少しだけ他の人より優れているのかも知れないなあ、という自意識はあったけれど、顔がいいわけでもないし頭はでかい、背は低いし性格も暗いので、プロとして果たしてやっていけるのだろうか、と悩んだわけなのだ。「福助」と呼ばれたこともある。
 順調に卒業し、高校の美術教師になってふるさとに帰り、中学の同級生だった彼女と結婚したいというような普通の夢も抱いていたのだ。
 それに別の項でも書いたけれど、アマチュアの時代というのがまったく無く、人前で歌ったことさえ餓鬼のころのコンクールを除けばこれまた皆無、自信などどこにも無かったのだ。
 そんなわたしを無謀にも芸能界に飛び込ませた原因はなんだったのか。
 それが「伊東ゆかりさん」の存在だったような気がするのだ。歌も好きだったが顔も好きだった。他人なのに性格も分かるような気がした。だれもそうしなかったが、自分だけで「ゆかりん」と呼んでいた。
 東京で一人暮らしを始めた頃(家賃5000円の三畳一間だった)、金も無いのに彼女のレコードだけは必ず発売日に買った。その頃シングル盤レコードが370円だった。ラーメンいっぱい180円の時代だ。
 で、友達が部屋に遊びに来ると、ずっと伊東ゆかりばかりかけていた訳だ。
「ビートルズは無えのかよ、プロコルハルムの<青い影>は無えのかよ、なんで歌謡曲なんだよ、噛まれた小指が痛けりゃ病院へ行けっちゅうんだよ、軟弱な野郎だな」とよく言われたものだ。
 そう、軟弱なのだ、それで結構なのだ。単純に好きなのだ、心の底から。
 ゆかりんと歩いたそんな青春があって、デビューの話が現実的になって来た頃、もしかすると「生ゆかり」に会えるかも知れない、そう思ったのだな、このおやじは。
 
 デビューしてからずっといろんな所で「いつか伊東ゆかりさんに曲を書きたい、書きたい」と言い続けたのだけど、ついぞそれは実現しなかった。そのうち何年か後に、あまり快く思っていなかった松山千春が彼女に曲を書いたことを知りゲンナリした。伊東ゆかりさんには不向きな曲だと感じたからだ。
 彼女にはね、洋楽のようなポップスが似合うのだよ千春くん。彼女の代表曲によく「小指の想い出」があげられるし、売れたのだろうからしかたはないのだけど、それよりサンレモ音楽祭で受賞した「青空のゆくえ」や、何かのB面だったけれどバート・バカラックの「 Close to you 」などの方が、わたしは素晴らしいと思っているのだ。古い話だから今の人には何のことやらさっぱりだろうし興味も無かろうが、若い頃の伊東ゆかりさんは可愛かった。
 わたしは当時、彼女が自分より6歳年上であることを知っていたけれど、「それでもいい、愛があれば」なんて真剣に考えていた。
 佐川満男(やはり歌手)と結婚して「裕美」という女児をもうけた時などは「殺してやる〜!」と佐川満男に手紙を出そうかと思ったぐらいだ。ストーカーのはしりのようなもんだ。ストーカーじゃないな、おめでたいだけのことだ。(最近ストーカーの小説を書いているので、そっち方面のこと詳しいのだぞい。まいったか! 話が外れた。)

 伊東ゆかり、園まり、中尾ミエの「当時の三人娘」がグループで復活するらしい……という噂を耳にしたが、わたくしまたまた妄想癖が……。
 愛があれば年の差なんて……。彼女も、もう(51+6)歳かあ。それでもいいなあ。マリリンに会いたい、あ、それは海を渡って彼女に会いに行く犬の話しだった。映画があったねえ、わたしは犬並みかもしれない。