「 吉野屋事件 」
オールナイトニッポンのパーソナリティをやることになって、わたしはまたまた憂鬱になってしまった。別の項でも書いたけれど、わたしは本来は非常に無口な方なのだ。ライブでの曲間のしゃべりすら嫌なぐらいで、できることなら歌だけ歌って引き下がりたいぐらいだったから、2時間弱の間見えない相手に向かって何か話すなんて、もう拷問に等しい気さえしたのだった。
もちろん状況はわかっていた。それがいかに大きなチャンスであるかということは十分に承知していたが、嫌なものは嫌である。
しかしこの世界、スタッフがせっかく取ってきた仕事に対して「ノー・サンキュー」及び「アイ・キャント」はタブーだ。たいして売れてもいない奴にオールナイト・ニッポンのDJの仕事を取ってくるのにはかなりの努力が必要だったはずなのであった。
ひとつだけ救いだったのは、台本屋さんがいるということだった。ちゃんと台本があって、それに添って話を付け加えていけば2時間なんてあっという間だし、と言われてなんとかその気になれたのだった。
わたしが担当したのは2部だったのだけど、同じ曜日の1部は中島みゆきさんだというのが、余り自分でも意味がわからなかったが、それだけはちょっと魅力的だった。
“ 狼になりたい ” という歌を書いた人、というだけでわたしはもう100%みゆきさんを尊敬しきっていたので 「これ、余りものなんですけどよかったら……」と気さくにみかんやおにぎりを差し入れされた時は、もう天にも昇る……、ちがうなあ……、もうひれ伏してしまうほど敬服してしまった。
いろんなことをいう奴がいて、いくら自分がまだ売れていなくても同じアーチストなのだから多少はツッパッてろとか、同業者を尊敬してるとか好きだと言うなとかね、わたしに言わせりゃ「馬鹿かおまえは」というような頭の悪いスタッフもいるのだよ。
で、わたしは相変わらず自分の2部の方でも“狼になりたい”はすごい曲だというようなことを言っていたわけだ。
本題はここから。“ 狼になりたい ” は場面設定が吉野屋だから当然 “ 牛丼
” にも話が及ぶのだ。わたしはツアーに出た時などには、それどころか、それ以外の時でも実に吉野屋を愛好していて牛丼にはうるさいのだ。てなことを番組でしゃべっていたものだから、ある日ファンの方が牛丼を差し入れしてきた。メモ書きには「
“並み”を15秒で食べろ」とあった。なんでも挑戦してやるぜ、というようなコーナーがあったような気がする。それで挑戦したわけだ。
ところがその牛丼、作られてから1時間ぐらいたっていたので、ご飯は冷えて固いし、汁は吸われてもう無くなってるし、脂分がこてこてに凝固してるしで、かなり食いづらかったのよ。で、それをありのままに、多少おもしろおかしく、こきおろし風にオンエアで言っちゃった訳なのよ。
次の日がもう大変。吉野屋から大クレームがきた。
「 すぐにパーソナリティを交代させろ 」
「 全国の店で、同時間に牛丼を食べていた人たちが不快な思いをした 」
「 庶民のためのオールナイト・ニッポンが庶民の食べものを馬鹿にした 」
「 ビートたけしが言うんなら笑いで済ませるかもしれないが、どこの馬の骨かわからん奴に言われて心外だ 」
「 小林ってのは同業者の回し者なんじゃないか、営業妨害だ 」
「 いつも吉野屋を利用しているというのも嘘だろう 」
「 お客の中には不遇な人たちも多いのだ、これはもう差別問題だ 」
等々、そりゃあもう大変。なんか回りで上の人たちがわたしに隠れてこそこそ話してるなあ、と感づいてはいたのだがそういうことになっていたのだった。
ニッポン放送の方もかなり苦慮したらしい。なぜなら吉野屋は野球のナイター放送の大・大・大スポンサーだったのだ。
で、結局どういう結末になったかというと、番組2回にわたって全国の吉野屋の店員さんや客からリクエストをもらって曲をかける、という吉野屋大宣伝大フォロー大ヨイショ大会をやることで勘弁してもらうことになったのだ。
くやしくてねえ、なにがって、そういうつもりが無いことをあれこれ言われることぐらい腹立たしいことはないからねえ。
けれど吉野屋にはまったくわだかまりなど無くて、その後も頻繁に有楽町店などを利用している。今思うと面白かったね。ビートたけしが言うんなら笑いで済ませるかもしれないが……というのが興味深い。
発言者によって言葉は違う風に取られるのだ。反省など微塵もしていない。
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