18年間勤めたビクター音楽カレッジの、スタッフ時代の写真がドッサリ出てきて驚いた。こんなに貯まってしまっていたのだなあという意味での妙な感動。靴が入っていた紙箱に、いただいたそばから放り込んでしまっていて今まで見ることが全くなかったのだ。ほとんどが教え子たちとの何かの時の記念写真だが懐かしい顔が並んでいる。名前もほぼ覚えている。記憶力はけっこういい方なのだ。その他はスタッフとの飲み会やイベント後の飲み会や講師仲間との飲み会……飲み会ばっかりじゃないか!
いまさらながらに思うのだけど、どうして人は飲み会の写真を撮ってしまうのだろうか。どうして鼻の穴に枝豆を押し込んだり、5Cmぐらいに折った割り箸を下唇と鼻の穴の間に差し渡した写真を撮ってしまうのだろうか。人間として情けなくないのだろうか。まあ、わたしなんだけど……こういう写真は子孫には見せたくないし見せられない。一瞬迷ったがシュレッダーにかけた。
教え子たちの顔をみていたら、あったような気もするし無かったような気もするし、といった茫茫とした記憶が頭の中を春風のように駆け抜けて行った。
経験があるのだから「音楽スクール青春物語」風の小説にでも挑戦してみたら? と秘書がいうので(嘘)、ちょっとだけ今そんな気分になっている。
古いけれど洋画で「フェイム」だったかな、ミュージカル風のものがあったような気がする。まあ所詮は馬鹿なわたしだから、くだらない嘘810ぐらいのフィクション大魔王話になるのがオチだろうけれど、そういう馬鹿話だって光も影もさわやかさんも醜いさんもいろいろ出てきた方が面白いだろうから、ちょっと作り過ぎるきらいがあるけれどわたしにはうってつけの題材なのかもしれない。殺人事件などに発展させてもいいし、講師と生徒と校長との三角関係といったドロドロの世界に突入するのもおぞましくて興奮する。
辞めて12年になるが今はどんな感じなんだ? とWeb検索してみてひったまげてしまった。本気で驚くと、わたしは鹿児島弁になるのだ。
なんとなんと「2014年3月でビクター音楽カレッジは閉校になります」とある。それだけしか書いてないので詳細はまったくわからない。アチャー! である。
経営不振なのか、生徒が集まらないのか(同じか?)、社長が死んだのか、ビクター本社が資本を撤収したのか……ウーム、パパはなんにも分からない。青山から原宿のベルコモンズに校舎を移したりして、とても順調そうに見えていたのだけどなあ。
知り合いの何人かに連絡を入れてみたが分からなかった。金が有り余っていた時代に、ビクター音楽振興会からスタートした「社会に奉仕」目的の音楽学校も、独立・株式会社化の紆余曲折を経て、ついに35年のその歴史を閉じるのだ。35年というのが学校の寿命として長いのか短いのかはわたしなんかが考えてもわからない。
が、時代は悪い方へ悪い方へ確実に動いている気がする。余裕のカケラも無い時代がやって来るのだろうか。
心温まる話も、やるせなくなる悲劇も、切なく突き放した恋愛もあったような気がするなあ(勘違いかもしれない)。わたしもまだ若かったのだ。前髪もあった。青春物語のサワリとしてひとつぐらい“とっておき”を紹介したいところだが、悲しいかな、というか情けないというか、もっとも記憶に強く焼き付いているストーリーは便所話なのである。
ある日、レッスンとレッスンの間の休憩時間に急にウンコがしたくなって便所に入ったのだが、その当時の青山校の便所は小さくて、入口こそ男女別々だが中は薄い壁1枚で仕切られているだけという構造だった。しかも天井に近い部分は10Cmほどのスリットになっていて、その気になれば隣を覗けそうな(覗かないけど)ぐあいになっていたのだ。当然音は筒抜けである。でまあわたしはウンコをしていたのであるが、途中でいきなり隣の女便所に人が入ってきたというわけなのだ。読唇術というのはあるが唇だけで「ウワ〜!」と言うのは何術というのだろう? どうすることもできず、わたしは気配と糞意を殺してとにかくじっとしていたのだった。たまらんなあ。
すると隣の個室から咳が聞こえた。咳ではあったが音質的にそれは教え子の飯島愛華の咳に間違いなかった。言っちゃあ悪いけど言っちゃうけど、ちょっとチビでちょっとデブでだいぶブスのくせにテレビのエキストラとかやってるものだから超生意気で「今度セリフもらったんだあ、もうすぐ役ももらえるかもしれない。役者で大成してから歌手デビューっていうのもありますよねえ先生! わたしはそういうタイプだと決めてるのウフッ」なんてホザクような奴なのである。
で実際はというと、毎回レッスンの時に髪の中にいっぱい砂が入っていて、つまり怪獣映画とかのエキストラをやっているらしくて、砂をガバッとかけられるような役なわけで、セリフも「ガオーッ」とかいうようなものらしいのである。職業に貴賤は無いが世の中には「お門違い」というのが結構あるのである。
まあそんなわけで、あまりに小生意気なので腹式呼吸やら活舌やら発音やら厳しく指摘し、挙句の果にわたしは「お前が万が一歌手デビューできたら、俺は即この学校を辞めてもいいぜ」と啖呵を切ったのだった。授業料を払ってもらっている立場なのに、とんでもない講師なのだ。
でクソ、じゃなかった便所だ。わたしは尻を剥いたまま座っている。飯島は隣の個室でなんかしゃべっている。少し泣いているようでもあった。いずれにしても蚊の鳴くような小さな声だ。ウンコなのかオシッコなのかはわからない。いや、そんなことはどっちでもいいのだ。
何度か流した水洗の音がだんだん小さくなってきたころ、かすかに蚊の羽音ほどの言葉が聞き取れるようになってきた。高度なウィスパー唱法ができていやがるじゃないか!
「自分だってチビじゃないか、自分だって歌手になれるような顔じゃないじゃないか。うううう……なりたくてこんなふうになったんじゃねえっつうの、ううううううう……腹式呼吸なんかできたって、活舌がよくたって、歌が上手くたって、それだけじゃ歌手になれないことぐらいみんなとっくに知ってるっつうの、うううううう……ジャーッ(水洗の音)……ん? ん? ん? バタンバタン(ドアの音)」
わたしはうろたえながら、こういう経験は2度とできないだろうなあ、すごいことだなあ。それにしても、講師として生徒を馬鹿にしたようなことを言ってはいけないのだなあ、人にはすべからくやさしくしなければいけないなあ、と素直に反省したのだった。あまりに感動したので10分も尻を剥いたままだったぜ。
ウンコをしおわって外に出ると、待合室にまだ飯島がいて目が合ってしまった。
「臭かったよ先生のウンコ、歌手になったら先生をマネージャーに雇ってあげるよ。いまよりちょっと高いギャラで。運が付くよー、エヘ、エヘエヘッ」
まったく食えないウンコ女なのであった。わたしは目には目を、クソにはクソをのことわざ通り、手に少しだけ付いてしまっていたウンコを……ダメだ、ダメだ。そんな着地の仕方じゃダメなのだ!
あんまりいい「音楽スクール青春物語」は書けそうにない。そんな気がする。