鵜原駅前案内板 |
外房線鵜原駅 |
電車でも来れるなあ |
最初の入り江の勝場港 |
次の入り江の長入港 |
長入港のトンビ |
海の博物館の前の浜 |
水はそこそこキレイだ |
浅い岩場が続く |
岩も美しい形 |
隣の入り江まで歩けそうだ |
オバチャン達が帰ってきた |
ウニを拾っていたのか! |
ウニの博物館? |
港の無い入り江 |
ここが欲しい |
尾名浦(めがね岩) |
反対側もとても静か |
侵食で穴があいている |
制約が多いがまあいい |
2014年4月15日(火)「 鵜原理想郷 」
スーパーカブを飛ばして勝浦の「鵜原理想郷」を見に行った。我が家からの距離50Km。所要時間は往路1時間45分、復路1時間20分。時間の差は風によるものだ。いかんせん50ccの原動機付自転車だから逆風にはからっきし弱い。横風にはふっ飛ばされてしまいそうだ。 「危ないから車にして」といつも言われるのだが、肌で感じる開放感はなにものにも代えがたい。 「男は二輪、クサヤは七輪」なのだ。 鵜原理想郷は名前の通り鵜原の理想郷だった。当たり前だ。 惜しいのは(港はいいとして)人工の観光施設が思ったよりも多いことだ。海の博物館や勝浦海中展望塔が、リアス式海岸独特の景観を台無しにしているような気がした。人工物皆無のほうがもっと気分がいいだろうにと思うが、まあそれはわたし個人の嗜好と言うものだろう。国定公園にも指定されているのだし、レジャーを必要とする人々もたくさんいる。 大岩の天然の防波堤が一番外側にあって、その内側が小岩を敷きつめた浅場になっている。小岩の凹凸が消波の役目をしていて、沖は白ウサギが走るかなりの荒波なのに手前はさざ波程度、ほとんど凪に近い。南洋の環礁の中のラグーンみたいだ。空気注入式ゴムカヌーで漕げる海があるとするならば、まさにこういった場所だろうなあという印象。 ところで「理想郷」という名前は大袈裟過ぎやしないだろうか? 地元の人たちが昔からそう呼んでいるのだとしたらちょっと手前味噌だよなあ? と調べてみたら……やっぱり違った。 「大正末期、鉄道大臣秘書の後藤青年が、この地に大臣村(別荘地)の建設を計画し、大臣が『理想郷』と命名しました。昭和2年に鵜原駅が設置されると全国にその名が広がっていきました」ということらしい。ブルジョアジー(死語?)の匂いがかすかにするのはそのせいだろうか。 結局「大臣村」ができたのかどうか分からないのだが、多くの作家や画家(与謝野晶子、三島由紀夫ほか)たちがここを訪れ、こよなく愛したのは確かなことらしい。現在でも著名作家の別荘やマンガ家の隠れアトリエがあったりするらしい。 大秘境発見! などと騒いでいたバカは誰だ! 俺だった。 写真の最下段にある「尾名浦」という名の小さな入り江、めがね岩がいい感じだ。おそらく、わたしは次からここにダイレクトに来ると思う。間口70mほどの小さな入り江だが、こここそまさにわたしの理想に近い。 砂浜に寝転がって目をつぶり、波の音をきいていると「生きててよかったー」という気分になるのだった。 砂を踏む音にわたしは身構えた。一人の小さな老人が近づいてくる。ひどいガニマタである。 「やあ」と言うから「やあ」と応えた。 「あのカブはおたくの?」と聞くから「まあ」とだけ応えた。 「いろいろ手をいれてるねえ。カブはロバみたいに地味な奴だがへこたれないバイクだ。オレも昔、千葉県中を走り回った」と嬉しそうに言った。ポストマンだったらしい。 わたしのバリアはいっぺんに解けて消えてしまった。結構単純なのだ。 6年前、初めてここにやって来た時、運命的なものを感じたのだそうだ。かなり悩んだそうだが、ここで暮らしたい一心で妻子を捨てて漁師小屋を借りて住みついたのだという。 言っちゃあ悪いが、超貧乏そうだ。日よけのためだろうが、野球帽の下に風呂敷大の布を一枚かぶっているので顔がよく見えない。悪いけれど言っちゃうが、お世辞にも綺麗な風体ではないのだった。首筋まわりが黒く汚れ、体からはフナムシの匂いがした。 しかし不思議なことに、わたしに嫌悪感は無かった。 空と海と太陽と、水と光と風にしか興味が無くなってしまっている点がわたしと同じだった。上昇の志向も向学の心もすでに死滅しているのも同じだった。 なのに陰々滅々とした雰囲気はどこにも無くて、不躾な質問をするわたしに腹を立てることもなく、終始駄洒落などを織りまぜてわたしを笑わそう笑わそうとするのだった。明るい世捨て人なのだ。 自分のことをルンペンと呼ぶのもおかしい。ルンペンという言葉の響きがいいのだそうだ。乞食やホームレスは品がないという。言われればそんな気もする。年齢は「忘れた」の一点張り、おそらく65歳〜70歳の間ぐらいだろう。 アニキの一日を聞いた。 04:30 起床 05:00 火をおこし、白湯を飲み、一汁一菜の朝食。その後、漂流物探しに海岸を散歩する 06:00 手こぎの船で海に出て、豆鯵やイワシなどの小魚漁に精をだす 10:00 陸に上がり、わかめ、ヒジキ、天草、ウニなどを集める 12:00 収穫の一部でまたもや一汁一菜の昼食 13:00 収穫物を処理加工し、干物などの保存食作りなどに精をだす 14:00 シエスタ(簡単に言えば昼寝。結構シャレ者だ) 16:00 夕まづめの漁に出る あんまり頑張らない 18:00 たき火をおこして適当に食材を焼いて酒を飲む 毎晩村人の誰かが酒飲みにやってくるらしい 22:00 適当に就寝 村の人たちも適当に帰ってゆく アニキが言うにはここはやはりとても暮らし易くて、ふつうのルンペンは冬は九州へ、夏は東北や北海道へ歩いて移動するらしいが、ここではその必要がまったく無いのだそうだ。 現金収入は崖上の国道128号沿いで、戸板の上に海で拾った漂流物を並べて売っているという。いわゆる無人販売所だ。貝殻などはもう全くダメで、風化した怪しい外国の人工物(ビンや缶の類)がよく売れるという。酒代ぐらいにはなるそうだから大したものだ。 つげ義春「無能の人」の“河原で石を売ってる人”みたいですね? というと「そのルンペンは知らない。会ったことはない」というお答え。まったく予想外、さすがのお答えである。 野菜類や米はほとんど村人たちからの差し入れ。農作業を手伝うこともあるらしい。要するに村人にたいへん好かれているのだ。毎晩「持寄り酒場」のようになっているらしかった。 2本持っていた缶ビールを1本ずつ飲んで、わたしはまた寝転んで波の音に耳を傾けた。 波の音がずっと続いていた。 縄張りを荒らすことになりそうでなかなか口にできずにいたのだが「ここでカヌーを浮かべて少し釣りなどしていいものか」と小さな声で聞いてみた。返事がない。イソヒヨドリがふわふわと飛んでいた。 体を起こし彼の方に向き直ると突然風が吹いて布が舞った。そして彼の顔の全容が見えたのだ。 額がてっぺんまでハゲあがり、上の前歯が3本欠けていた。右目が白濁、左目が銀色に光っていた。 それはわたしとまったく同じ顔だった。彼は最初から気づいていたのだろうか。理由を知りたくないわけはなかったが、知ることでさらにとてつもなく不安な世界に落ちて行きそうだった。 わたしはそのことには触れず、気づいてもいない振りで黙って周りをぐるぐる見回した。50m先の看板の文字を読み取ろうと眼を細めた。「鵜原夢想郷」とあった。夢想郷? わたしは恐怖のどん底にいたが、確かめるには彼に聞くしかないのだ。勢いをつけて隣を向くと、そこにはもう誰もいなくなっていた。フナムシの匂いも無い。 摩耗して丸くなった青いガラス片が、おかしなことに濡れてそこにあった。 潮が足元まで満ちてきていた。わたしはその青いガラス片をポケットに入れて立ち上がった。 漁師小屋を探そうと思った。 |