釣りに行くにもキャンプをするにもちょっと気を削がれる梅雨の季節、けれどぼくにはその「梅雨」を待ちわびる気持ちが少しだけあるのだ。
その理由は……「ダチュラ」の花が咲き始める季節だからだ。ダチュラ……、エンゼルトランペットという名の方が通りがいいかも知れない。もともと南国の植物だが近年は園芸種としても人気が高く、色も白、黄、ピンク、オレンジと多種多様、八重咲きのものまである。関東でも越冬し2m以上になり、一度にたくさんの花をつけた姿はエキゾチックで圧巻である。
ダチュラの花を見る時、ぼくはアッという間に過去へタイムスリップしてしまうのだ。
6月の鹿児島、梅雨時のほんの短い晴れ間をぬって、父と12歳のぼくは2台の自転車を連ねて川沿いの道を走っていた。荷台には1週間分の生ゴミを満載、捨てるのではなくて自家菜園に埋めに行くのだ。
川の土手には3〜4mの高さに育ち、白いロート状の花をいっぱいつけたダチュラが何十本も自生しているのだった。
梅雨独特の霧雨の中で、その花はソフトフォーカスの写真のようだった。横を過ぎる時ナス科の植物特有の匂いにムッとはするのだが、ぼくはそれさえ好きだった。
人の肺の1番奥の部屋には、幼少期に吸った空気や匂いが一生残っていて、窮地に立った時のパワーの源になるというチョット出来すぎの話を聞いた。
ぼくにとっては梅雨空に咲くダチュラの匂いがそれなのかも知れない。
大腸切除の手術をした35歳の時、臨死体験という訳ではないけれど、熱と痛みにうなされながら麻酔から覚め切れぬ夢の中で、確かに白いダチュラの群生を見た。
絶対に生(なま)の花をもういちど見るのだと、ぼくは体中から管を出したままベッドの横で屈伸運動をした。看護婦は慌てふためいたけれど傷口の癒着もなく、ぼくは蘇生したのだった。
梅雨の季節にしか逢えないものがある。だからぼくは梅雨が少しも嫌ではないのだ。
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