2012年3月4日(日)「 罪滅ぼし 」

 今年に入ってから愛猫の“ウーロン”が体調を崩していたのだが、先日病名が判明した。肝臓ガンだそうだ。笑えるほど丸々と太っていた体型も、今ではガリガリである。食物も自分からはほとんど食べなくなってしまった。自宅で点滴ができるようにしたのと、毎日の通院でステロイド剤を多めに打ってもらっているのでなんとかかんとか生きているような状態である。治療ではなく“苦痛軽減”の延命措置である。1週間先か、1ヶ月先かは分からないが、近々には確実に逝く運命だ。
 
 わたしが帰宅すると寝床から出てきて膝の上に乗る。献身的に介護をしているのに「私にはそんなに甘えてくれない」と妻は腐るが、そんなことはない。下の世話から食事、通院、散歩(外に出ると嘘のように喜び、動きまわるのだ)…ウーロンは誰がいちばん自分を愛してくれているか分かっている筈である。ただ強引にポンプで流動食を入れたり、点滴の針を抜き刺ししたりするから「嫌なことをする人」と思ってしまうのだろう。相手が獣だから介護する妻の方も大変で、指を噛まれて何針か縫ったりもした。ウーロンの命が長らえるのはいいが、その分妻がどんどんやつれてゆく。

 椎名誠の小説に「犬の系譜」というのがある。飼っていた歴代の犬を話の軸にして、その時代時代の家族の歴史を書いたものだ。昭和20〜50年代の匂いがプンプンして、特に悲しい話でもないのだが、初めて読んだ時には郷愁で涙がボロボロ出た。年代が近いこと、かつ幼少時の出来事に共通点が多くて、忘れかけていた自身の記憶まで掘り起こしてくれるようなストーリーが多かったからだ。5回ぐらい読み返した。
 ねじれハートのわたしだが“動物もの”には極端に弱い。女子供並み(失礼!)である。椋鳩十の本にはいつも感動したし、動物に対する考え方といったものがその頃固まってしまったと言っても過言ではない。タイトルも詳細もさすがにもう忘れてしまったが、猛烈な吹雪の中を命からがらたどり着いた洞窟で、主人公の猟師がさまざまな獣たちと体を暖めながら一夜を過ごす話など、子供ながらにゾクゾクワクワクした。動物と話ができるPCソフト(?)が早くできないものかと、真面目に考えているくらいだ。
 
「今居る猫たちには、出来る限りのことをしてあげたいのよ」
 妻は、自分たちの食べるものを削ってでも“尽くし尽くす覚悟”をそんな風に言った。もちろんわたしに異論は無い。
「罪滅ぼしのようなもんだな」
 わたしは我が家の「猫の系譜」を振り返りながらそう答えた。
 金が無かったり、軽薄だったり、自分勝手だったりしたために、若い頃沢山の猫たちに辛い思いをさせたのは確かだ。結婚直後のストーリーが多いので妻も同じように感じているのだろう、と思った。

「私は……、罪滅ぼしという言葉はあまり好きじゃない。許しを乞うために何かをしている訳じゃないの。私は“ありがとう”って気持ちで最後まで面倒をみてあげたいだけ」

 ……。まったくなあ、わたしはダメな男である。




              




mk
一緒にバイクに乗って、いろんな所に行ったなあウーロン!
※写真はクリックすると大きくなります

年末ごろの写真。鏡餅のように真ん丸だった。犬なんか屁とも思っていない
様子で我が家の「動物組」の組長さんだったのだが。8歳になろうとするとこ
ろだからまだまだ若いんだけど。


すっかりやつれてしまった近影。薬のおかげなんだけど、この写真はまだ
眼力が残っていて元気な方だ。もうろうとしていることも多くて、部位が肝臓
なだけにとにかくダルいのだろう。

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