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2017年08月03日(木)「 遠くを見る人 」 「遠くを見る人」というタイトルを思いついたのは、もうかれこれ30年ほど前である。30年前だから当然「歌」のタイトルとして考えたものだ。先にタイトル有りきというパターンは結構よくあることで、イメージがはっきりしているので割とすんなり完成まで漕ぎつけられるもの。が、なぜかこれだけは思い入れが強すぎて、さらに意味深さも手伝って、結局歌としては“想像妊娠”で終わってしまった。 あなたが見ている場所を、私も見たいのに、ああそれなのにそれなのに〜♪という内容。いま思うと恥ずかしい。 次に使おうと思ったのは「絵」の題としてだった。日本近代美術展に所属していたころの話。 海岸とか丘のてっぺんに2人の人間が座っている。同性同士でもいいし異性でも構わない。ただし2人は青年と老人でなければならない。なぜなら、その年齢差ゆえに見えている物もその重さも違うだろう。それを表現し、感じさせて絵自体にストーリー性を持たせようと考えたわけなのだ。難しいのだよわたしは、頭でっかちで。 瞼を閉じればおぼろではあったが構図はすでに見えていて、遠くを見る青年は希望にあふれて限りなく美しく、片や老人は経験という鎧に包まれてどこまでも神々しかった。アンドリュー・ワイエス風の絵になるはずだったが、実現できなかった のはそもそもわたしに力量が無かったからだ。 帰宅途中の電車の中でこのタイトルをふと思い出し、今のわたしには遠くに何が見えるのだろうかと興味を抱いた次第。 で、かねてより行ってみたいと思っていた「鹿野山 九十九谷展望公園」に行くことにした。ひょっとしたら運よく「遠くを見る小娘」にでも会えるかも知れないと思ったからだ……な訳はないな。 画像検索すると雲海風の写真がドッサリ載っている。正確には雲海というより霧に包まれた盆地の写真なのだろうが、後々のためにロケハンしておいて損はない。“明け”で眠いには眠いが、ここでだらけて怠慢してしまうと絶対に“神々しい老人”にはなれない気がしたのだ。 家からジャスト2時間、途中からはキョンが出そうなすごい山道だった。しばらく通うことになりそうな予感がする。 ※君津市鹿野山東天峪119-1 4枚の写真をつなげてパノラマ風にしてみたが、スケール感が全然出ていませんな。もっともっと雄大な感じです。 |
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