kome
Yahoo Japan!   Geocities Top
某月某日

「手造りボール」

 普段、絶対に人が入り込まないような場所にカメラをぶら下げて入りこんだ。死体が遺棄されていてもおかしくないような所である。葛(クズ)のツタが1.5mほどの厚さでヘチマのタワシ状にからみ合い、ともすれば足を取られて倒れて込んでしまう。カスミアミにからまったバーサンのようになりながら進んで行くと、ポッカリと開けた円形の場所に出た。朽ちてはいるが囲んだ柵の跡がある。梅の木が数本植えられていて「私有地、立入り禁止、梅取るな」の看板。公用地の荒れた原野の真中に私有地ってのはどうみても変だ、怪しい。見回してもその場所へ通じる道らしいものが無いので、きっと密猟などと同類の「密栽培」に違いなかった。その梅園の持ち主も収穫期にはこっそりと這って入って来るのに違いない。梅の林を作っているわけだから密林という訳だ。わたしは「アーア、ア〜!」と叫んだ。
 多少気が引けたが踏みこむ。誰かが現れたら迷い込んだ振りをすればいい。こういう時、おおげさなカメラは効果絶大で便利である。
「ついつい写真に夢中になってしまって迷いこんでしまって、すみません」これでたいがいはOKである。
 タヌキか野犬にでも襲われたのだろうか、ズタズタにされたウコッケイ(おそらく)の死骸がころがっている。なかなかにワイルドだ。
 その2〜3m先の丸いものにわたしは目をうばわれた。ファインダーを覗き構図を考えシャッターを押す。回りの音がなにも聞こえなくなるほど集中する瞬間である。

「昔の日本は貧しくてなあ、野球好きの子供らは手造りボールで遊んだもんだで」
「ヒィーッ!」突然背後から声をかけられたわたしは思わず犬のような悲鳴を上げた。そこには片目を白く濁らせた老人が立っていた。
「ああ、すみません。写真に夢中になっているうちに迷い込んでしまって」
 わたしは用意してあった台詞を言った。
「アイヤ〜、そんなことはいいんだでな。それより、あんたもそれを見つけただなや。この辺ではたまに見つかるだよ」
 老人は少しも怒っている様子はなく、むしろ話し相手が見つかって嬉しいといった表情で続けた。
「戦時中この辺にはなあ、にわか造りとは言っても立派な飛行場があったんじゃ。けど、それが終戦の頃にはただの穴ぼこだらけの荒地になっとったよ。その後、土を入れ替えてちゃんとした運動場にしようっちゅう動きもあったがな、結局元々が湿地じゃったでな水が浮いてくるんよ、人が走りまわれば走りまわるほどなあ」
 わたしは「なるほど〜、そういうことね」といかにも興味ありげにうなづきながら聞いた。
「あんたが写真を撮っておった“それ”はな、当時泥んこになりながらここで野球をして遊んでおった子供たちが、手造りしたボールなんじゃ。もうすっかり腐ってしまっちょるがなあ」
「? いやいや、なるほど、そういうことね」わたしは他人の秘密の場所に入りこんだ、という引け目を感じていたので素直に聞き上手を決めこんでいた。
「野球のボールにしちゃあ、ちょっとデカイですね、これはバレーボールかも」
「イイヤ! 湿気でふやけたんじゃな、その後乾いた。野球のボールじゃよ」
「ア〜、そういうことね」
 老人という人種はいつでも断定的な物言いをする。しかしその方がかっこいいし、年寄りが威張っている世の中の方が正常なような気がする。わたしは嫌いではない。
「あんたはプロのカメレオンじゃろう? 写真の題は『ミイラになった少年の夢』にしたらええがな」
「オ〜、そういうことね。カメレオンじゃなくてカメラマンですけどね、そうしますわ」
 老人は満足そうに笑った。
「この前わしが見つけた時なんか、あんまり懐かしいんでついついノックなんかしちゃったものねえ、うまいもんだよ〜」
「ノックですか?」
「んだよ。そん時だあよ、打った瞬間にボールからボワーッって煙が出てなあ、カチカチに巻き固めた水糸が風化しちまって粉になっとったんだわ。それが目に入ってしもうて、ほら〜こんな白目になってしもうたがな、アハハ」
「ア〜、なるほどね。気をつけないとねえ、白内障じゃなかったんですねえ」
 わたしは、あくまで老人を立て続けた。
「どうじゃろう、何かの縁じゃで、これから二人で記念にキャッチボールでもすべえよ」
「ア〜記念にね、そういうことね、やりましょうやりましょう」
 乗りかかった船だ。老人とわたしは5mほど離れて向かい合った。
「あんまり強く投げないでくださいよ〜、胞子……じゃなかった、煙が出るからさあ、カメレオンは目が命だからさあ」
「いやいや、サイコウ・サイコウ、最高裁判所ときたもんだなや」
 老人は上機嫌で腕をグルグルとぶん回し、ふりかぶって第1球目を投げてよこした。時速120Kmぐらはあったと思う。
 ボムッと鈍い音がしてボールはわたしの手中に収まると同時に激しく破裂した。そしてその瞬間、わたしの頭部は青味を帯びたグレーの煙に包まれのだ。そしてそれはトゲトゲしい粉塵のように眼球の湿り気に貼りつき、わたしは痛みの中で視力を失っていった。

 どのくらいの時間、そこに倒れていたのか自分ではまったくわからなかった。穏やかな陽気に眠りこんでしまったのかもしれなかったが、仮にそうだとしてもその前後の事をまったく思い出すことはできなかった。
「マイッタなあ……そろそろ妄想癖もいいかげん卒業しなくちゃなあ」わたしはすこし自己嫌悪になりながら立ちあがり、膝から下についた藁や土を払い落とそうと前かがみになった。
 わたしの目にはいったのは二本の足首だった。わたしは「ヒィーッ!」と声を出して驚いたが、逆に自分のその悲鳴ですべてを思いだした。そうだそうだ、ジジイとキャッチボールをしてたんだった。
「結構速い球をなげるじゃないですか……ウッ!」
 振り向いたわたしは瞬時に半歩引いた。足の爪先から全身の血が土中に流れ出ていった。下半身の力が抜け、わたしはあろうことか失禁した。
 そこには両目を白く濁らせ、干からびた“ボールのようなもの”を持った前歯の抜けたわたし自身が嬉しそうに笑いながら立っていた。
「昔の日本は貧しくてなあ、野球好きの子供らは手造りボールで遊んだもんだで」