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わたしが歌手だったことは家族も知らない |
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「吉田拓郎先生の教え」 1978年か1979年か、もう忘れてしまったが吉田拓郎さんの全国ツアーに同行させてもらった。この時はいわゆる「前座」ではなくて、コンサートのちょうど中盤で拓郎さんが「フォーライフレコードの有望な新人、小林倫博君です。よろしく。」と紹介してくれて、そのあとわたしが袖から現れて歌い出すという何とも贅沢な環境だったのである。しかも超一流メンバーのバックバンドもそのまま使わせてもらったのだった。 当時、フォーライフレコードの社長でもあった拓郎さんの“経営も考えた企画”であったのだろう。“新人を売る力”イコール“レコード会社の力”だから、とにかく売れる新人が欲しかったはず。日本初、4人のアーチスト(吉田拓郎、井上陽水、小室等、泉谷しげる)が集まって作った新興レコード会社に課せられた宿命だったのだろう。 このツアーの東京でのコンサート(渋谷公会堂)を見た方が、わたしの歌唱力を買ってくれて後々ビクターでボーカルの講師をすることになるのだけど、まあそれはいずれ別の噺で。 “吉田拓郎全国ツアー”ともなるとスタッフだけでも20人ぐらいはいて、さらにサポートミュージシャンも加わると優に30人ぐらいの団体様になる。大変な大所帯なのだ。 コンサート終了後はそれぞれの開催都市のイベント屋さんが懇親会ならぬ“打ち上げ”をやってくれるのだが、いつも旅館の大広間のような所での大宴会になるのだった。ぺーぺーのわたしもいつも呼んでもらっていたが、恐れ多いという気持ちもあって回りの盛り上りペースについて行けず、いつも一人“壁の花”であった。 ある日、拓郎さんが瓶ビールを片手にわたしの所へやって来ていきなり言った。 「小林君の歌はさあ、いいんだけどさあ、なんかホンワカーッとしてるんだよな」 「え〜ッ、そうですかねえ」 「俺が思うにさあ、メジャーセブンスの雰囲気なんだよなあ…」 「メジャーセブンスですかねえ……?」 音楽をやったことがある人なら分かると思うが、メジャーセブンスというのはコード(和音)のことだ。首を締める紐じゃない。 たとえばCメジャーというコードはド・ミ・ソである。そしてCメジャーセブンスというのはド・ミ・ソ・シである。聴いた感じを文章で表現するのは難しいが、まあ角が取れて優しく甘くメロウな感じになる訳だ。がその分、強さや激しさやストレートさが失われがちである。「シングルの曲はなるべくストレートなコード進行で作りなさい」とマネージャーなどにもよく言われていた事だ。わたし自身が、十分承知していることだった。 拓郎さんが何をわたしに言いたかったのか、何を教えてくれようとしているのか、だいたいの所は少し分かってはいたのだが、わたしは酔いの弾みでつい言ってしまった。 「メジャーセブンスが大好きなんすヨ」 「……」 「ストレートなコードよりボンヤリしたコードが好きなんすヨ、好きなんだからそれでいいんスよ!」 「……、そうか、好きなのかあ……」 拓郎さんは、笑いながらまた瓶ビールを片手に、遥か彼方に行ってしまったのだった。大広間の遥か彼方のようでもあり、心理的な遥か彼方のようでもあった。 このシーンを思い出すたびに、わたしは「不遜」の二文字を思い浮かべる。当時のわたしを、今のわたしは結構嫌いだ。 「拓郎さんの歌は嫌いじゃないですが、その作品の魅力は岡本おさみさんの詞に依るところがとても大きいと思う」 わたしがそのころ考えていたことが“バカ僧”の顔に表れていたのかも知れない。 あら? これも「謝るなら今でしょ!コーナー」のようになってしまいましたナ。 |
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