「 それ、どうするあるの〜? 」
地方出身の人で、東京にもう5年以上住んでいるのに「方言」が抜けない人は80%以上の確立で「音痴」である。
「いいや! そんなことはない、失敬な!」と思っているあなた! イントネーションがお国なまりになってませんか?
但しだ、あくまで方言を共通弁に直したいと思っているのに直せないでいる人において、という意味ではある。
わたしは長年ボイストレーナーをやっていたので、こと「口の回り」にはうるさいし、多くの事例を見てきたのでこれはおそらく正しいのだ。関西系の人は敢えて関西弁を使うし、ナマリが「素敵なもの」として受けとられるケースも多い昨今なので、例外も多少はあるがもう1度言う、方言が抜けない人はほとんど音痴である。クックッ!
そしてつまり、逆も真なり。すぐに共通弁(語)のイントネーションに直せる人は音感がいいのだ。プロのボイストレーナーが「音感」などという曖昧な言葉を使っちゃいけないが、「聞いたメロディーを正しく再現する能力」という意味での音感である。だってイントネーションってのはメロディーだからね。
そしてそれに派生した論理として、他人の口真似の上手な人は音感がすばらしくいいということもまた言えるのである。
わたしはある日、埼玉・茨城・群馬、この3つの県境にある「谷中湖」というところで釣りをしていた。オランダ仕掛けというものでアユの稚魚を釣っていたのだが、この湖は利根川とつながっているので魚の種類が豊富、時として狙っている魚以外の大物が釣れることがある。アユの稚魚はオキアミの団子で釣るのだが匂いがきついせいか他の魚がよくちょっかいを出してくるのだ。
その日も突然アタリがきた。5.4mの延べ竿がへの字に曲がり、直径3Cmの発泡スチロールの大きな浮きが水中に消し込んだ。
延べ竿はキュルキュルと泣き、魚は右へ左へ走りまわった。竿は今にもその先端部分が折れそうである。抜き上げることなど到底できそうにない。わたしはしかたなく我慢に我慢を重ねてなんとか耐え、至福の喜びを味わいながら獲物が疲れるのを待った。そして引きずりあげるような格好で獲物を釣り上げた。それは40Cmをゆうに超えるボラだった。
と、その時である。50mほど離れた右の方向から一人の大柄な女がなにごとかを叫びながらこちらへ向かって走って来るのが見えた。日本人ではないのが遠目でもなんとなくわかった。
「それ、どうするあるの〜? それ、どうするあるの〜?」
大きく激しい口調で叫びながら走ってくる姿を見て、わたしは一瞬たじろいで腰が引けたが、逃げる間もなく彼女はわたしの真横に到達した。そしてまだビシビシ跳ねるボラをジーッと見つめているのだった。おそらく中国系の女性に間違いないようだった。サンダルがラーメン柄だった。
わたしはとりあえず質問に答えるべく、釣るのが目的なので魚はすぐに逃がすというようなことを言った。すると彼女は実に嬉しそうに大きく目を見開いて"オネダリ女”顔になった。
「私、欲しい、欲しい! ソレ欲しいあるよ」
北朝鮮の“よろこび組”にいそうなナカナカの美人だが、声はカン高く鋭い。
「ど、 どうぞ、どうぞ」と言うしかないではないか。
と、その時である。わたしの左方10mで釣っていた地元のオヤジの竿が大きく曲った。女はわたしからボラをひったくるように取り上げ、また走りだした。
「それ、どうするあるの〜? それ、どうするあるの〜? 欲しい、欲しい!」
隣のオヤジの獲物は50Cmはあろうかという鯉だった。そしてわたしの時と同じやりとりをし、女は見事にその鯉もゲットしたのだった。
左手にボラ、右手に鯉をぶら下げて女は元居た場所へ戻っていった。わたしの前を通る時「ありがとさまね〜」と言った。
と、その時である。
わたしの左方にいたオジサンが大声で叫んだ。
「それ、どうするあるの〜? それ、どうするあるの〜? 持ち帰りあるか〜?」 女と同じイントネーションだ。100%クリソツ(そっくり)だ。わざとふざけて言っているのに違いないが、あまりに上手だ。天才的だ。耳障りなカン高い声音まで似せている。ちょっと馬鹿か酔っぱらっているのかも知れなかった。
「お持ち帰りあるね〜! わたし、これ食べるある、ありがとさまねえ〜」
「おいし(美味しい)あるか?」
「おいし、おいし! アーハッハッハ!」
わたしは阿気にとられて二人の会話に参加することはできなかった。参加する気も起こらなかった。
女はまた元居た場所に戻り、連れのヤクザ風の男と話しているようだった。ボラと鯉の口をくっつけ合ったりして大笑いをしている。わたしはイチャついている二人の方が気になり、そちらばかりをチラチラと盗み見していた。
ふと気付くとオヤジが歌っていた。鼻歌などではない。腹式呼吸で出している立派な声だ、明らかに何かやっていたか訓練された歌声だった。ボイストレーナーのわたしが言うのだから間違いなかった。
やっぱりな……、物真似が上手いはずだ! メロディーのとり方が実にしっかりしている。間違いない!
わたしは納得した。ついさっきまで馬鹿か酔っぱらいか、と思っていたのにだ。
隣のオヤジが歌っていたのは、よくは知らないがおそらく「ソシュウヤキョク」という曲ではなかったかと思う。中国になにか特別な思い入れがあるのかなあ、とわたしはしばらくの間、耳と心を傾けた。
。