一応「血統書」というものが手元にあって、空（犬の名）は佐賀県出身の１月３日生まれであるらしいのだ。
「おまえも九州か！」とわたしが言うと、最近では苦しそうにではあるが、大声で「クーシュウー！」と吠えるので猫どもが“空襲”と聞き間違えて部屋の中で穴を探して走り回る。まあ、そんな毎日である。
空はとうとう体重が１８ｋｇという非常識、もとい常識を超えた巨大なビーグルに育ってしまった。肥満なのではない、大きいのである。常識的な普通のビーグルが１３〜１４ｋｇだというから、一見すると違う犬種に見える。体高が高い。
「ビーグルですよね？」と散歩の途中ですれ違いざまにみんな尋ねてくる。まさか「雑種ですよね？」とは聞けないと思うが、人々の目は明らかに好奇の念に満ち満ちているのだ。しかしながら、あまりにも堂々とした体型とすばらしい筋肉・色艶に気押され「ビーグルの新種ですか？」とは、よく受ける質問ではある。人とは“気を遣う動物”なのであるなあ、とつくづく思う。
「普通のビーグルは育てやすいようにアメリカで少し小型化されたらしいんですね。スヌーピーがそうですね。こいつはイギリスの原種系ビーグルでもともとウサギ狩りに使われていた狩猟犬なんですよ。ハウンドですね。ウサギだって大きいのになると４〜５ｋｇはありますから、暴れるやつを噛み殺すとかトドメをさすにはこのくらいの体が無いとダメらしいんですねえ。大きいワンチャンが大好きで“ボクサー犬”なんかにも飛びかかっていくんですよ。走りが好きでねえ、もうこっちの体がボロボロですわ！」
などと講釈すると「ブリテイッシュ系なんですか！ ウサギを噛み殺すんですか…」などと大いに納得し、たいがいは今得た知識を忘れまいと反復しながらスタコラと去って行く。
悪いなあとは思うが上記の講釈は根も葉も無い嘘であり、おもしろくて止められない。
賛否両論……、いや否定の意見しか無いと思うが、わたしは空を溺愛している。思い切り甘やかせて育てている。以前も話題にしたが「知能の発達」にはある時期まで甘やかせて育てた方がいいという学説のようなものがあって、それを信じきってしまっているのである。
ペットショップでいつまでも売れず、とうとうショップの裏方ケージ住まい。「ビーグルはいませんか？」「ちょっと育っちゃった奴がいるにはいますけど」とそんな稀有なめぐり合い。デブで陰険なおばさんに買われそうになったのを見て、すばやく手付金を打った娘の決断。これを縁と言わずして何をか縁と言わんや！
誕生日には旨いものを食わなければならない。夕方の散歩前の餌（通常の固形餌）を半分に減らして、戻ってきてから家族の食事といっしょにわたしの手料理を振舞うことにした。特別な日だからね、イベント性（？）が無いと楽しくない。４人がけのテーブルのわたしの隣の椅子に座らせ、取り皿もきちんと用意した。箸は要らないらしい。人間と食べているものこそ違うが、ちゃんと家族の一員として団欒に加えた。今日の主役はあくまで空なのである。
メニュー……。太らしてはいけないので難儀なのである。カロリーの低い食材でバランスよく、味付け無しで香りよく、消化がよくて腹もちもいい……？ Oh！ ５６歳にもなってわたしは何をしているんだろうか。娘が２、３歳の頃、よく昼飯をつくったのを思い出した。
キャベツと鶏肉と煮干を昆布のダシ汁で煮てみた。鶏肉はササミがカロリーが一番低いが、うまみを重視して胸肉にする。栄養が逃げないように水は極力少なくした。いわゆる蒸しなべ風やね。人間の食事もタジン鍋なので、こういう食事は蒸しつ蒸されつつ、というのだろうなあ。？
将来の夢などを聞きながら、親子で濃密な時間を過ごした。わたしは焼酎のお湯割を飲みながら「ああ、この子が１４歳になる頃には俺は７０歳なんだなあ」と感慨深い思いにひたり、これまでいっしょに過ごした７ヶ月の時間を日記のページをめくるように振り返った。
「長生きしてくださいね、とうさん」と空が言い、「もうすぐ金玉を取ろうと思ってるんだけど、本当におまえはそれでいいのか？」などとわたしは悲しげにつぶやいた。
だったらいいなあ……って話である。料理の匂いにいきなり噴出するヨダレの滝、暴走する食欲、狂ってしまったハウンドはもうとめられない。わたしたち人間は非力なただのウサギだ。空の食事はたったの３分で終わってしまった。さらに人間の食い物に手を出しはじめ、ガンモドキをくわえて逃げ出すわ、おせち料理の煮物の鶏肉だけぜ〜んぶ食ってしまうわ……。
「なんだこの馬鹿犬は、お前らがわがまま放題許してるからだ！。追いだせ、追いだせ、２階に連れてけ！」
人生は実に不条理である。いや「わたしが」というべきであろうか。「躾」より「愛」が勝ると、まだ思っていたりする訳である。
ｍｋ
