感謝の気持ちでいっぱいです
 

本当にやさしい犬だった
2022年09月18日(日)「ソラ君…さよなら」

 最愛の友達犬「ソラ」が02:40に旅立った。12年と8ヶ月の一生だった。平均よりも数年短命だった訳だ。そのせいかどうかはわからないが、父の死よりも母の死よりも、今回の方がかわいそうでせつない。知ってはいたが、わたしは親不孝者だ。

 かかりつけの獣医さんのワンチャンも心臓に腫瘍があったのだそうで「結局8ヶ月もちませんでした」と言っておられたのだが、それがなんとなくわたしたち家族にとってはキーワードになってしまい「8ヶ月か、今年いっぱいなんだなあ…」などと家族間では話していたのである。しかし、あにはからんや、結局ソラは発症から4ヶ月しかもたなかった。

 最初の発作の時(5/2)は1週間ほどで回復し食事も散歩もわりかしすんなりと復活した。「こんな感じで上手く病気とつきあっていけば…」と淡い期待をしていたのも事実だ。しかし発作が月2回、月3回と頻繁化してゆき、ついには回復が発作に追いつかなくなって次第次第に衰弱していったように感じている。
 同じ経験をした知人が教えてくれたのだが「最後が近くなると”偏食”が出ますよ」とのことだった。実際ここ2日ほど、ソラにもその兆候が出始めていて、あんなに好きだった肉類をまったく食べず、突然魚類系の嗜好に変ったのだった。固形餌もキャットフードを好み、煮干し、生利節、タラのソフト干物、チョイあげ君のマグロ味、とその日ごとで種類さえも変わってしまうのだった。「兎に角、生かすためには何でもいいから食べるものを食べさせてください」と獣医さんが言うので、最近の我が家はペットショップのおやつ売場のようになっていたのだった。しかし、それらさえも次第に口にしなくなり、目を開いたまま横になっている時間ばかりが増えていくのだった。身体をさすってあげることぐらいしかできなかった。

 わたしは夜勤だったので結局死に目には会えなかった。さぞ妻と娘が大変だっただろうとすまない気持ちでいっぱいだ。19:00頃に発作が起きて足がもつれて倒れ込んだらしい。意識朦朧、呼吸もかなり苦しがったようだ。なのに、まともに歩けもしないのに外へ出たい、外へ出ようと要求したらしい。排便とか排尿ではなくてただただ外へ出たいだけだったのだろうと思う。散歩がことのほか好きなやつだったから。しかたがないので娘が抱いて庭に出した。苦しいのは変わらなかったが草の臭いに満足したのか、もうそれ以上は娘の腕の中で最後までじっとして居たそうだ。酸素ボンベを多量に用意してあったので、神にもすがる思いだったのだろう25本も使ったそうだ。わたしが帰宅するまでなんとかもたせようと思ったのかもしれない。しかし4時間ほどその状態が続き、最後の最後に身体中に残っているすべての力を振り絞るように四肢を突っ張り、ロウソクの火が消えるように“フッ”とこと切れたらしい。

 03:23に妻からラインが届いた。
 わたしは「ソラ君は頑張りました。皆んなも頑張りました」とだけ返した。まだ実感が湧いてこなかったのでそれ以外に思いつく言葉が無かったのだ。
 12年間の間にどれだけソラに心を救ってもらったことか。わたしは情けないほどに心の弱い男である。本気で後を追いたいとも思ったが、笑われるだけだろうなあとも思った。
 無二の存在だったのに、助けてあげられなかった事が今一番悔し悲しい。


※火葬場のスケジュールがタイトで、1週間ほど待たなければ空かないらしかった。ただその日の13:30の枠が急遽空いたらしく、妻はわたしが帰宅するまで返事を待ってもらっているという状況だった。亡くなったその日の内に荼毘に付すというのもなんだかかわいそうな気もしたが、皆で話し合ってそうすることに決めた。台風14号の影響で物凄い雨が時々降って全員下着までびしょ濡れになった。まだ逝きたくないというソラの最後のダダのようで泣けた。
 散歩の途中で、自分の行きたい方向と違ったりすると足を突っ張って拒否する時の申し訳なさそうな上目使いの顔を思い出した。
 小林 倫博