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09年8月7日(金)「 さよなら、大原麗子さま 」

 自分の馬鹿をさらけだすことになるのであまり言いたくはないのだが、わたしはここ1ヶ月ぐらい前から携帯電話の待ちうけ画面を大原麗子さんにしていた。そして今思えば、お亡くなりになる2週間前の7月20日頃、わたしはフィールドノート「自転車に乗って 〜海の日は海に行かない〜」の最後でちょこっとだけど大原さんの名前を出した。偶然だ、と言われればその通りなのだが、勝手に妄想させていただくなら、亡くなる直前に彼女が発した“シグナル”を、何かの縁でわたしがキャッチしたのではないかと……。
 馬鹿でしょう?


 大原麗子さま、仕事でも個人的にも一度もお会いしたことはありませんでしたが、わたしはず〜っとあなたの大ファンでした。シンガーソングライターだったころ、頼まれもしないのに勝手にあなたのために曲を書いたりいたしました。「雲を追いかけて」というタイトルでした。事務所に頼んでプレゼンしましたがボツになりました。“合わない”ということでしたが、わたしは今でも“ピッタシ”だったと思っております。
 世の男性がこぞってあなたの“可愛いらしいところ”を好きだ好きだとおっしゃる中、わたしはあなたの瞳の奥の“プライドと信念に満ちた光”が好きでした。押しかけてでも、まだプロだった頃にコンタクトすべきでした。
 あなたは本当はどんな人だったのですか? 知りたかったです。 テレビ画面に写っているものはすべて虚像ですからね。本音を酒の肴にしたかったですねえ。
 もしもお知りあいになれていたら、ご病気後でしたらなおさらのこと、わたしが毎日でもご機嫌うかがいいたしましたものを。

「好きな女優は?」と聞かれたら、わたしは今後もずっと永遠に大原麗子と答えようと思います。安らかに、お疲れさまでした。





            





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さよなら、大原麗子さま