「ここでない何処か」に憧れる生き物、それが男だ。玉はなくても男は立つのだ!
2013年05月14日(火)「ラテ帰る」

 5月3日の夜、犬のソラとキラを“寝る前のウンコ・ションベン小散歩”に連れ出そうと玄関のドアを開けた瞬間、飼い猫のラテが犬たちの足8本、わたしの足2本、合計10本の足の間をすり抜けて脱走した。書きながら変だなと気がついた。10本の足の間の“どこか”をすり抜けた、というのが正しい。
 猫は他にもチョコとプーアールというのがいるがその脱走の直前にちょっとした猫同士の小競り合いがあってドアが開いたのが弾みになってしまったのかも知れなかった。
 
 ラテの脱走は実は初めてのことではない。家から外には出したことがないので、外の世界になみなみならぬ興味があるらしく網戸を自分で開けて過去に3回ほど遊びに出て行ったことがあるのだ。しかし興味はあっても外の世界は基本的に怖いらしく、最初の頃は4〜5時間で戻ってくるのが常だったのだが、3回目の時はちょっと違っていた。なかなか簡単には戻って来ず、妻が次の日の夕方探しに出て1ブロック離れた所で発見して連れ帰った。しっかり強く抱いていたのが災いしたのか車の音で怯えて暴れ出し、妻は噛まれたり引っかかれたりで血をダラダラ流しながら、それでも必死で離さずに連れ帰ったらしい。
 勤めから帰宅したわたしは、おびただしい量の血に染まったタオルを見て肝を冷やした。賊が入ったのかと勘違いし思わず家中を妻の死体を捜して走り回った程だ。病院から戻ってきた妻の怪我の程度がまたすごいので、聞いているだけで鳥肌が立ち寒気がした。「飼い犬じゃなくて、飼い猫に手を噛まれたのかガハハハ」などとは冗談でも言えない状況たったのである。

 やるだけのことはやってあげたい、と妻がいうので捜索願のポスターを作り、掲示や近隣へのポスティングをしたのだが、いくつかのガセネタがあっただけで確信的なものは無く、日にちだけが空しく過ぎて行った。外に餌を置いてはあったが食べた形跡は無かったのである。
 ところが脱走から1週間経ったころ、妻が餌が少し減っていると言い出した。他所の猫かも知れなかったし、カラスの可能性だってあるし、酔ったわたしが食ったかもしれないと言ったが、妻は「絶対近くにいる」と言いはるのだった。居るのなら、なぜ戻って来ないのかがわたしには理解できなかった。
 
 8日目を過ぎた頃、庭に設置してある自動外灯点灯装置(誰かが門のそばを通過するとポッと照明が点くやつがあるでしょう)が反応した。そっ〜と外を見ると目の前の植木鉢の影にラテがいるではないか。ラテはわたしにはまったくなついていないので妻と娘にすばやく知らせたのだが、時遅くまたラテは姿をくらましてしまった。
「何日間かは本当に迷ったのだろう。が、今はこの家の場所をしっかり把握している。昼間はどこかに身を隠していて夜だけ行動している」というのが家族全員の等しい見解だった。捕まるのがとにかく嫌なのだろう。
 野生動物に餌付けをしているような気分で大好物の刺身や焼き魚を置いたりした。そしてその都度しっかりそれらは確実に無くなり、餌付け(?)は成功した。一首「飼い猫に 餌付けする夜のわびしさよ 猫も猫なら 人も人なり」。あんまり意味はない。

 本日、徹夜明けで帰宅すると「ラテ君がいるよ」と妻が明るく言った。警戒心0%で疲れきった様子で眠っていた。昨日は敢えて昼間にほとんど餌を与えず、夜になって他の犬猫を別の部屋に閉じ込め、餌を洋間の中に置いて戸を開けて待ち伏せたのだそうだ。よほど腹がへっていたのだろう、警戒心むき出しで入ってきたところを、娘がすばやく戸を閉めて御用となった由。
「犬は人に付き、猫は家に付く」というがラテはちょっとだけ変わっているのかも知れないなあと思う。刺身がなかったらおそらく部屋には入ってこなかっただろうし、妻や娘(ラテは元々娘が独り住まい時代に飼っていた猫なのだ)が名前を呼んで捜索しても姿を現すことがなかったのである。
 何ひとつ過信せず、飼いならされることもなく、ワン公なんかと暮らしていけるか馬鹿ヤロめと啖呵を切って“ここでない何処か”を目指して出て行ったのだとしたらスゴイ奴だ。玉は無いが男の鏡のような奴である。
 褒めてやろうと近づくと牙をむき出しにしてわたしを威嚇した。「しょせんは“人間の頭で想像した動物の気持ち”なんだろうなあ」と、わたしは多少ぐったりした気分になってラテに牙をむき返して見せた。




            




mk
※写真はクリックすると大きくなります
Yahoo!JapanGeocities topHelp!Me