2002年5月5日(日) PUNKYDAY
 最近のいわゆる“原チャリ”(原動機付き自転車)は、ほとんどがチューブレスタイヤなので、よっぽど運が悪いか、もしくはタイヤが磨耗していない限りパンクすることはないらしい。しかしだ、どれだけケブラー繊維や鋼鉄の網がうめ込んであるタイヤが丈夫でも、パンクする可能性がゼロというわけではないのだ。リジット(空気を入れずに全部ゴムのかたまりでできたもの)以外は必ずパンクする。
 スーパーカブはチューブタイヤである。振動を適度に吸収するスポーク式の車輪なので、フレームの関係から未だにチューブ式なのだ。情報によると空気の代わりにゲル状の柔らかいシリコンゴムみたいなやつを注入し、リジット化する方法があるようだが、コスト的にまだ一般的ではない。
 パンクする理由はただひとつ、排気量が50ccだからだ。法的理由からスピードにリミッターがかかっている。違法なことをすれば別だが時速60〜70Kmが限度だ。ちなみに法定速度は時速30kmだ。
 市街地を走るならそれで十分なのだが、車線の広い幹線道路などだと他の車が時速80kmぐらいで走るから、流れについて行けない。で、結局カブは道路脇を走ることになる。
 この道路脇ってのがミソなのだ。道路脇は路面が荒れ、起伏というか穴ぼこが多いうえに、さまざまなものが落ちている。石ころ、板、ガラス片、クギなどだ。“運”もそこに落ちているとも言えるが、これがパンクに直結する。
 最近は渋滞知らずの2輪を毛嫌い、逆恨みして新品のクギを何箱分も撒き散らしながら走るダンプの運転手などもいると聞いた。始末が悪い。
 かなり私情が入ったので能書きが長くなった。つきあってくれてありがとう。

 さて、人生初の体験である。その日、わたしは4回パンクした。
 久しぶりに群馬県の桐生まで足をのばし、梅田地区の渓流で遊び、時間次第では草木ダム(オウム真理教がライフル銃などを捨てたらしいということで一時騒がれた)までの林道も走ってみようか、と出発した。
 ところが、である。出発して20km走った菖蒲町でまず1回目のパンク。時速50kmで走りながら3m先の光るクギが見えた(ような気がした)が避け切れなかった。新品のクギだった。前述した撒きクギかも知れない。まあなんとか見知った“道の駅”までゆっくり走り、そこで修理。それまでの苦い経験で修理道具は全て積んであったので特に問題はなかった。タイムロス1時間、クギは記念に立ち木に打ち込む。ここを通る度に思い出すだろうし、木のためにもいいらしい。
 2回目のパンクは利根川の手前2km地点。122号という道路は道幅が狭いくせに恐ろしい数のダンプが行き交う街道なので、修理する場所が無く、フニャフニャとカブの尻を振りながら利根川の河川敷まで走る。そこで修理。それ以上時間をロスしたく無い気持ちがの方がはやり、穴はふさいだが、穴をあけたものの正体を確認できないまま再出発、それがアダになった。(なかなかオジジイまで話がいかないね、急ぎますね)

 馴染みの多々良沼にさしかかろうかという時、3回目。プスンという感じで空気が一瞬で全部抜けた。もうこれは走れない。カブを押して多々良沼へ。
 見ると、2回目のパンク時にささったらしいガラス片を発見、しかもめり込んだままなかなか取れない。おまけに内側へ突き出た部分が、無理に走ったせいかチューブを縦に3Cmほど裂いていた。これはもうパンクじゃなくてバーストである。処置なしだ。
 いつもは新品のチューブを必ず1本積んであったのだが、この日はたまたま切らしていた。木陰に入り、しばし茫然としていると、一人のオジジイが自転車で現れた。(パンパカパーン、やっと登場であります)明らかに地元のオジジイだ。1日中自転車でプ〜ラプラとパトロールして、面白そうなことを探しまわっているオジジイだ。居るでしょう? どこの町にでも。
 以下はオジジイとのやりとりの要約である。手抜き表現?

「あらら、そりゃーパンクだね」 (見りゃー分かるっちゅーの!)
「ガラスで切れちゃったんだね〜」 (さっきから、そう言ってるだろうよ〜!)
「いろいろ道具持ってんだ?」 (あ〜、俺は旅慣れしてっからよ〜、馬鹿!)
「そりゃ〜、なおらんね〜!」 (放っといてくれよ、こっちは必死なんだよ)
「どこから来たんだ」 (埼玉だよ、さ・い・た・ま)
「埼玉のどこ?」 (どこでもいいだろうよ〜! 蕨だよ)
「蕨ってどこ?」 (埼玉って言ってんだろ〜よ!)
「嫁に行った娘が住んでるよ〜」 (知るか! 知ってんじゃねえかよ、蕨)
「ウヘヘヘ」 (ウヘヘヘじゃねえんだよ、誰なんだよお前?)
「世界で一番暇なじじいだ、俺は」 (何だよ、それ? 本当に世界一かあ?)
「だからよ! バイク屋を探してくるでな、ここにおれよ!」 (え! ?)

“世界で一番暇なじじい”はなかなか帰って来なかった。その間にわたしはもう一度修理に挑戦、出発したが150mほど走ったところであえなく4回目のパンク、もう何枚パッチを当ててみても再び同じ箇所が裂け、いよいよ埼玉への帰路さえも危ぶまれてきつつあった。
「お〜い! お〜い!」 1時間半ほど経ったころオジジイは戻ってきた。カブを置いて電車で帰ることも考え初めていたので、ジジイの背後には後光のようなものが見えたぐらいだ。
「知ってるバイク屋はつぶれてた。それに日曜じゃでな、やってるとこは1軒だけ、遠いが、押していけるか?」
 もちろんである。しかし果てしなく遠かった。パンクしたバイクを押して転がすのがこんなに重労働なのを初めて知った。
 オジジイもわたしに合わせて自転車を押して歩いた。わたしは申し訳なくてバイク屋の場所を教えてくれれば自分で行きます、と言ったのだがその度に
「世界一暇だから」と彼は言い続けた。
 東京の板金工場で自動車部品を作り続けて45年、退職後、郷里のここ館林に戻り世界一になったらしい。
 3kmほど歩き、これまた親切なバイク屋さんの世話になった。仕事を終えて一風呂浴びた後だったというのに「大変じゃったな」と笑いながら、また手を油で汚してくれたのだった。お茶まで出してくれた。コーヒーを飲みたかったが贅沢言っちゃあいけない。

 カブのチューブ交換を“暇オジジイ”とずっと見ていた。わたしは少年時代、、職人さんが仕事をするのをじっと見ているのが大好きだった。左官屋さんが壁や塀をへらで器用に塗るのを飽きもせず1日中見ていたものだ。
 おしゃべりなはずの“暇オジジイ”もずっと黙って見ていた。何か思い出していたのかも知れない。
 修理代の清算を終えると、やっと人心地がついたのか腹が相当に減っていることに気付いた。たいしたお礼も出来ないがソバでもいっしょに……と振り向くと、オジジイの姿はもうすでに消えてしまっていた。もう少し話を聞きたかったし、名前も聞いておきたかった。バイク屋さんにも確かめたが、近所の人ではなく分からないとのことだった。
 “世界で一番暇なオジジイ”は“世界で一番シャイなオジジイ”でもあった。




                




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今日のオジジイ