06年10月15日(日)「 ピクニック 」
実は今日は釣りに行く予定だった。昨日の憂さ晴らしに嵐山辺りでオイカワ釣りをしようと考えていたのだ。この時期、オイカワはフライラインを後ろ向きに投げても釣れるので(実際に数年前、妻の投げそこねた毛バリに食いついてきた)100匹釣りに挑戦し、見事成功させてフィールドノートを飾る予定だったのだ。タイトルもズバリ「束(そく)」だ。タナゴやハゼ釣りなどで100匹単位を「束」というが、1度でいいから使ってみたいタイトルではある……。
6時に起きてコソコソしていると妻が言った。
「うめさんがね、ショウガの花が欲しいんだって。咲いてる場所知らない?」
う! うめさん?! わたしは一瞬にして奴隷の心になってしまった。うめさんは日本画の先生で妻が日頃世話になっている。頭が上がらない。(詳しい事情は「春、近からじ 2/14(土)」を参照してください)
「釣りに行きたいんだけどなあ……」
「昨日、オカピーと行ったんじゃないの?」
「俺は漁師だからさあ、毎日やらないと海の男の血が騒いで……」
「川に行くんでしょ? 何、訳のわかんないこと言ってんの!」
かくして、わたしは釣りをあきらめてショウガの花を探す旅に出ることになったのだった。かつて(18〜19世紀ごろ)ヨーロッパには、王侯貴族のために海を渡り山を越えてひたすら「蘭の花」を探し求めた「オーキッドハンター」と呼ばれる人々・探検家たちがいたらしいが、まあわたしも今日は「ジンジャーハンター」になってやろうじゃないか、チクショウ!
10月1日(日)のNHK「小さな旅」で、わたしの野遊びフィールド「見沼たんぼ」がとり上げられていた。普段カブで走り回って写真を撮ったり昼寝をしている場所が由緒正しき寺であったり、裏庭で小便をたれたこともある社(やしろ)に見沼の守り神であるらしい“龍神”がまつってあったりと、驚きと親近感で観ていてわたしはケロケロと嬉しくなってしまった。興味のあることだけは1度聞けば1字1句まで100%覚えてしまえるので、今では「見沼たんぼ」のガイドにもなれるぐらいだ。
「あたしも行こうかしら、ガイドさん。2人で探した方がショウガの花も見つかる可能性が高くなるし……」妻がベランダから言った。
「ショウガないなあ」わたしはバイクで行きたかったのでちょっと渋った。
「探す前から無いって決めないでよ、ショウガあるって!」
……とまあ、くだらない漫才やりとりがあって出発。妻はアウトドアが嫌いで釣りもキャンプもやらないが、外でお茶を飲んだり飯を食ったりするのだけは好きらしい。結果、妻が一緒だと菓子類を中心に食材が増える。
車を農道に停めて別行動で歩きまわる。わたしはひたすらショウガの花を探しまわって動いたが、妻は何かひとつ花を見つけるたびに丁寧にさまざまな角度から写真を撮っているようだった。コスモスの群生に始まって、カラスウリ、ホトトギス、朝顔の咲き残り、枯れたヒマワリなど真剣に撮っている。春山うめさんに描いてもらう水彩画のモチーフを色々吟味研究しているのだろう、なかなかの勉強家である。わたしの方は腐った材木や女郎蜘蛛の尻のアップ、毛虫の顔など、何の役にも立たない写真を2・3枚撮った。
ショウガの花はそれから1時間ほどでやっと見つかった。収穫のために畑に植えてあるのではなく、どうやら放っておいたものが伸び放題になってしまったらしい直径2mほどの群生があったのだ。可憐な白い花をいくつもつけていた。どことなく蘭の花のようでちょっといい感じだ。野菜類の花とは思えない高級感もある。新しい蘭の品種を見つけ出した瞬間のオーキッドハンターたちの喜びが解る(?)ような気もする。妄想が始まった。
「中には(オーキッドハンターの)ショウガの花を蘭の花と間違えて王様に献上する奴もいただろうなあ、百叩きの刑になったりしたかも知れん」
妻は聞こえないフリをしていた。
さらに、パロディ画というかダジャレ絵というか、いつもの悪癖がさらに頭をもたげる。
「ショウガの花のバックに神社を描いてタイトルはずばり“ジンジャー”ってのはどうだ?」
「描けば!……」妻はあきらかにわたしを軽蔑している。
「枯れ枝に団子をいっぱい突きさして“花より団子”は?」
「いまいち! もとい! いま50!」妻はあきらかにわたしを馬鹿にしている。
「小倉優子(ゆーこりん)の写真とカリンを一緒にテーブルに置いて“カリンコリン”ってのは?」
「プッ……うっかり笑っちゃったけど不謹慎よ、美術を何だと思ってるの?」と妻。
そういえば妻がヤフーオークションで扱っている絵の作者に颯田(サッタ)靖という人がいて、彼がいつも言っているそうである。
「小林は何でも茶化す悪い癖がある。それさえ無ければ天才かもしれなかったんだが、音楽家としても画家としても惜しいことをした」
ほっといてくれ! それにわたしはまだ死んだ訳じゃない。
春山うめさんにショウガの花があったことをメールし、近いうちに案内する段取りを済ませると妻はほっとしたのか空腹を訴えた。川の見える場所に移動し紅茶を沸かして飲み、途中の無人野菜販売所で買った野菜を入れたインスタントラーメンを作った。秋の涼風にアキアカネが飛んで何ともリッチな気分である。
もう何年も頭の中に浮かばなかった言葉をふと思い出した。
「そうだ、こういうのを“ピクニック”というのだったなあ」
小学生の頃、「今日はピクニックをしましょう」と“田舎のインテリ”だった母親の発案でよく家族で弁当を持って海辺で半日を過ごすことがあった。わたしはそれが恥ずかしくてしかたが無かったが、そんなことを思い出して少しセンチメンタルになった。
「ピックニックにゃヤッキニック(焼肉)」
妻が突然メロディを付けて叫んだ。空気が読めないのか、それともわたしを笑わせてくれようとしたのかは分からない。
“カリンコリン”のために帰り道で花梨を1個盗み採った。
mk