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Fieldnote 2017 不謹慎男とはわたしの事だ


3ヶ月間ずっと見てきた空だ
2017年06月06日(火)「往生際」

 オフクロがしぶとく頑張って(生きて)いる。実は今日が“日数的に1ヶ所の病院に居られるリミットの日”だったのだが、2週間程前に医師が「国の方には私が申請して上手く処理しますから」と言ってくれて、なんと最後(臨終)まで同じ病院に居られることになったのだ。
 まあ追い出されることは無くなったが、出来る治療に制限もあるし、言い換えれば「その日」が近いということを暗に宣告された訳ではある。
「延びてもせいぜい1週間、ここは目をつぶってやろう」ということなのだろう。

 画家のモネが、妻の臨終に際し「顔の肌の色の変化」をずっと画家の目で観察し続けていたという話は有名だ。比べるのもおこがましいが、わたしはこの3ヶ月の間、オフクロの顔写真を10日毎に1枚ずつ写してきた。今並べて見ると、日に日に肉が落ちてゆくのが分かって悲しい。
 真面目な気持ちで「往生際」という写真付きエッセイを残そうかと思ったのだが、多方面から誤解されて「罰(ばち)」がビュンビュン飛んで来そうなので結局やめた。芸術と不謹慎は紙一重なのだ。こういうのはある程度時間が経ってからでないと理解は得られない。
 しかしだ、今後同じ状況に立たされた人が見る時「ああ、このぐらいならまだ大丈夫なんだなあ……」とか「なるほど、この辺までくるともう限界なんだなあ……」とか参考になるかもしれない、とも考える。残酷なノンフィクションだが、みんな必ず経験することなのである。
 時間がたっぷりあったお陰で、葬式の準備も全て整っている。

 自分の往生際もそろそろ考えておかねばならない歳になった。倒れた時にすぐ飲めるように、やはり青酸カリのカプセルが必要であるような気がする。
 死に様は、その人の生き様でもある。