2021年12月20日(月)「お世話になった人達が」
年末になると必ずやる特集で「今年亡くなった著名人」というのがある。一覧を見ていると知っているものもあるし、知らなかった! とびっくりするものも有ったりする。ほとんど毎年自然に目に入ってくる感じではあるが、今年だけはちょっと胸が痛かった。
「微笑みONE MORE TIME」の作詞をして頂いた喜多條 忠(まこと)さんが11月22日に74歳でお亡くなりになったとのことだ。ビクター音楽カレッジで作詞を教えておられたので、わたしも時期的にかぶっていて、何度かお声をかけていただいた。わたしが「作詞だけは最後まで自分でやりたい」とごねた時期があって、先生もそれを御存知でいつもお会いするたびに笑われた記憶がある。
5月22日には伊藤アキラ先生が他界なさった。アキラ先生との思い出話しはその時書かせてもらったので今日は割愛するが、あらためてわたしは恵まれていたのだなあと思う。偉い先生方に詞を頂いたのに恩返しすることはついぞ出来なかったのが悔やまれる。
9月16日には「風」の大久保一久さんが72歳で逝ってしまった。わたしよりたった4歳違いである。人のいいやさしい方だったのに「いい人ほど早く逝ってしまう」というのは本当のようである。威張ったところがこれっぽっちも無くて、デモテープ作りを手伝ってあげようと、埼玉の蕨市(当時わたしが住んでいた)のボロアパートまで遊びに来てくれたこともあった。確か薬剤師の免許も持っておられたのじゃなかったかなあ。引退後、薬局を4店舗ほど経営しておられてビジネスも順調だったはずだが「また何か一緒にやりたいものだね」とわざわざ連絡をいただいたこともあった。72歳か、いやいや結構ショックである。
色々とWeb上をストリーミングするうちに、今年ではないが山川 啓介先生も2017年の7月にお亡くなりになっていたことを知った。先生ともビクター音楽カレッジで重なった時期がある。わたしの曲では一番売れた「君よ、大空へ」(といってもオリコンで50位ぐらい)の作詞者である。全日空のCMだったし、テレビでも結構流れていたので、もうちょっと売れればよかったのだが本当に申し訳なかった。
はっきりとした物言いをする方で、ある売出し中の女性作詞家の話になった時「僕は全然認めていない」と強い口調で語られたことを今でも覚えている。
面識は無いのだが「NSP」の中村 貴之さんも今年。11月27日、つい先日ではないですか。68歳だったそうだ。「♪東京へはもう何度も行きましたね♪」というフレーズ、まだプロになる前わたしも歌本を見ながら歌ったことがありますよ。同年代の人たちがそろそろ?、どんどん?……死に始めるということだろうか。せつない。
マラソンの瀬古さんが面白いことを言っていた。マラソン選手の寿命は走った距離で決まると言うのだ。
「だからね、高橋尚子はまだまだ走れる筈だったんですよ、試合で走ったトータル距離が短いもの」
ということらしい。
そういう意味で(?)、わたしはあと何年生きられるだろうか。死は怖くはないが、あと10年ぐらいはまだこの現世に居られるのなら、もう一つぐらいは何かに挑戦してみたいと思うのである
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