お礼参り
07年07月05日(木)「 お礼参り 」

 交通事故で右大腿骨を骨折した娘の足から装具が外れた。何はともあれめでたい事である。骨の芯にチタンのパイプが入っているとはいっても、3ヶ月以上も使っていない足ですぐに普通に歩ける訳はないが、まあなんとかバランスをとりながら歩けるようにはなったのだ。特別なリハビリ治療は行わないらしく、とにかく普通の生活をゆっくり送ることで筋肉と機能の回復を目指すらしい。とは言っても今無理をして階段などで転倒してしまうと、あっけなくまた折れてしまうらしいので気が気ではない。が、あまり神経質になるのも精神衛生上よろしくないような気にもなる今日この頃である。
 親としてはまだまだおとなしくしていて欲しいところなのだが、装具が外れた娘が最初に取った行動は“友達とお茶する”ことだった。友達(男女)が車で迎えにきて連れ出し、そのまま数時間どこかの店でしゃべっているらしい。1つのパターンが完成すると、それは常習化する。何か言いたげな親の視線を背中に感じながらも、こっそりと出かけて仲間と合流するというような経験は自分にも何度もあるので「11時(23時)までには帰れよ」とだけ言うわたしである。甘いなあ。

「今日はおばあちゃんの所に行って“快気報告”とついでに“墓参り”にいく。お前も来なさい」わたしは短く、そして珍しく強制的に言った。よその家のことは分からないが、我が娘は少々祖母をないがしろにし過ぎである。幼少の頃、あんなに可愛がってもらったくせに祖母が肺癌を患った時も1度も見舞いに行かず不義理をしている。都合をつければ1日ぐらい簡単に空けられたはずである。自分が事故で瀕死の時、祖母は毎日泣きながら仏壇に手を合わせ、墓に日参したなどという話を聞かせてもケロッとしたものである。孫なんてのはそんなものなのだろうか? 育て方を間違ったのだろうかと真剣に悩んだりもするのだ。
 もしも今日、少しでも嫌がるようなそぶりを見せたら爆弾を落としてやろうと思っていたが、娘はあっさり「わかりました」と答えた。ちょっと肩すかしを食らった感じだ。

 孫の元気になった姿を見て祖母は「幽霊だと思った!」とおおげさに驚いてみせ「正直言ってもうダメだとあきらめていたのになあ」と大胆なことを言って笑った。孫が元気になった…というより急にやってきた“にぎにぎしさ”に興奮したようだった。娘と同い歳のいとこのヒロちゃんも合流して墓に参り、そのまま白里海岸の寿司屋になだれこむ。九十九里で獲れたばかりの生サバを出してくれるので最高である。まったく酢でしめてないし冷凍ものでもない、正真正銘の“今朝獲れた生”だ。イワシも同様。わたしは鹿児島の指宿郡で育ったので、身体はほとんどサバとイワシとキビナゴとサツマイモで出来ているようなものだ。だからその辺りの食材の味にはうるさい。しばし寿司ネタの話題で盛りあがる。23歳の娘2人の食いっぷりが見事だ。ギャル曽根が2人いる感じ。せっかくの新鮮な青ものには目もくれず、アブリトロばかり食っている。テレビや雑誌などでグルメものばかりやっているので、情報は嫌でも耳に入ってくるのだろう。何々は塩で食った方が旨いだの、今は寿司を食ってるくせに焼肉とシャブシャブのどっちが好きかなどと、勝手なおしゃべりを繰り返している。10年早いってんだ馬鹿野郎。
「ほんとうに元気になってよかったあ。やっぱりご先祖さまのおかげだなあ。今日はいいお礼参りができて、もう言うことなしだあ」
 オフクロは耳が遠いのでその場の話題と全然違うことを突然しゃべった。2人の娘はチラと反応したが「またか」という顔で“今まで食べた旨いものベスト5”の話題に戻り、盛りあがっている。親としては「ご心配をおかけしました。いろいろとありがとうございました」ぐらいのことは言って欲しいのだが……。

「お金とか今どうしてるわけ?」二人の若い会話が耳に入った。
「慰謝料とかの話はまだ全然無いんだけど、給料が労災から出てるから」
「フ〜ン。いいなあ〜。遊んでて給料もらえてんだ!」
「カッチ〜ン、なに言ってんのよ、時間返せ〜って感じよ、おまけに体中傷だらけにされてさあ、水着なんかもう着れないし、歯もガタガタだし」
「そうだよねえ……相手には会ったの?」
「冗談じゃないわよ〜、絶対会いたくない。会ったらその場で殺すかもしれない、糞ジジイッ!」
「フッフッ、レイちゃんらしいわあ。いっその事、こっちからお礼参りしたら?」
「お礼参りかあ……」

 わたしは二人のヒソヒソ話に我が耳を疑った。育て方を間違えたかどうかは別にして、今わたしの前にいる我が娘は、女の子を授かったあの日に抱いた理想とは明らかに違う。理想と幻想は同じものなのだろうか。
「まったくなあ……しかし……あれ? マジで“お礼参り”の本当の意味はどんなんだっけかなあ……?」
 わたしはすっかり軟化してしまった脳味噌をプルプルと揺すりながら生サバの刺し身を追加注文してみたりした。




            




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