俺はその日……、
大洗(おおあらい)で海釣りをしたが、結果は大笑いだった。
わっかるかなあ、わかんねえだろうなあ……。
7月21日 大洗
「おとう、どっか連れてけ!」
 20歳になる娘が、どういう風の吹き回しか突然父親を誘うのであった。
 大学生になってからというもの一人で行動することが多くなり、これもまあ正しい親離
れの兆候であるなと考え、私も正しく子離れしたのであったけれど、いざ誘われてみると
親父は妻がゲンナリと呆れるほどにウキウキしてしまうのであった。
 どのくらいウキウキしているかというと、夜の11時に帰宅してそのまま眠らずに目的
地まで5時間運転するという荒行も一向に苦にならず、おまけにヘソクリをおろしてその
日に備える……といった按配である。
 で、海釣りに行くことになった訳だ。もちろん娘本人の希望である。
 5歳の頃から釣りに連れ歩いたので、海、川、渓流、餌釣り、フライ、ルアー等一応な
んでもこなせるようになったけど、彼女にとって海釣りは何か特別な位置づけにあるらし
いのだ。10数年間、毎夏通い続けた鹿児島の海が彼女の体にはしみ込んでいるのかも知
れない。それはそれで嬉しいことではある。
 大洗の海は5・6年前の原発のトラブルとちょっと遠いという理由で足が遠退いていた
けれどイシモチ(石持ち)などがボコボコ釣れるのでお気に入りの場所である。が、その
頃と様子が同じかどうかは全くわからない。一度などは釣れて引き上げている途中の小キ
スにシマアジが食らいついて、わらしべ長者のような釣りを経験したことがあった。太平
洋は偉大なのだ。
 道路事情などもだいぶ変わっているかも知れないと思いつつも、まったく下準備なしに
出かける。けっこういい加減なのだ。餌だって釣具屋がまだ開いていなくても自動販売機
というものがあるのだ。カップヌードルなどの自販機と同じ形で「ジャリメ」とか「アオ
イソメ」などと表示されている。ボタンを押すとパックに入ったミミズがポロンと出てく
るのだけど、腹が減っていたりすると思わず食べてしまいたくなるほどの新鮮さ、実にコ
ンビニエンスであるのだ。
 大洗に着くと先客がいた。つい若造のように、なんとなく負けたような気になってしま
った。娘も「早く、早く」といった様子。帰路の運転を考えると2時間ほど眠っておいた
方がいいような気もしたけれど、手足が勝手にすでに動き始めていた。
 テトラポッドによじ登り第1投、プルルときて「河豚」が来た。
 河豚、フグ、河豚、フグ、河豚、フグ、河豚……ついでにもひとつ河豚。腹立たしいほ
どにフグばかりが釣れる。腹を膨らましてあがってくるのを見ると、自分を見ているよう
なおさら腹が立ち、とうとう自分自身も河豚になって思いっきり膨れる。
 青い目をした河豚に「お前は外人か!」と毒づいたりした。そしてついに気が散り始め
る。回りばかりをキョロキョロと見てしまうのだ。悪い癖がでてしまった。
 我々より先に来ていた釣り人はもうとっくにいなくなり、その後入れ替わり立ち代り何
人かが来たのだけど、みんな30分ぐらいで諦めて仕掛けを片付け始めるのだった。自分
のことは棚に上げて「根性無しめ!」とほざいていると、嫌な視線を背中に感じたのだっ
た。
 振り向くと、男2人とちょっと派手目の女1人の3人連れが、でかいワンボックス車の
横で釣りの準備をしながら私をチラチラと見ているではないか。そして若い方の男がシャ
ツを脱ぎ裸になった。その男の背中には一面刺青がある。
「なんだ、なんだヤクザも釣りすんのかよ!」と思ったが、よく考えてみると釣り好きの
ヤクザがいてもおかしくは無いのだった。それにしても何で私のことをジロジロみるのだ
ろうか?
 しばらくして納得のいく答えが見つかった。3日前に私はふざけて3厘刈りの坊主頭に
していたのだ。そしてそれにレーバンのサングラス、奴らは私のことを仲間か知り合いだ
と思ったのではないのか。
「おう! お前も釣りをするんじゃったか! 極道のストレスを癒すんは釣りが1番じゃ
けんのう!」などと声をかけたかったに違いないのだ。きっとそうに違い無いのだ。
「ストレス癒して、また明日から命張って極道せんとのう!」と応えてやろうと思いもう
1度振り向くと、全然人違いだと判ったのか奴らはスタスタと防波堤の突端に向かって歩
いて行った後であった。残念であった。根性無しめ!?
「釣れた! 釣れた!」根性ありの娘はキス(鱚)を釣り上げて大はしゃぎである。私が
地元のヤクザとたわむれている間に蟹もヒトデ? もサバ(鯖)も釣れたらしい。クーラ
ーボックスの中のそれらを見せられ、私は大洗という太平洋に面した海の町の、荒波にも
まれてそそり立つテトラのリングの上で、もう1度立ち上がろうと必死でもがいてみたけ
れど、ついに本日の10カウントを聞く結果とあいなったのだった。
 帰宅してシャワーを浴び、洗面台の鏡の前に裸で立つと、そこには手足だけを真っ赤に
した腹の白い坊主頭の男が映った。どこかで見たことのある生物である気がした。口を少
し突き出してみると、それは間違いなく「河豚」であった。
フィールドノート 2004