「 今日のオジジイ 〜 のうがき 〜 」
小学館のアウトドア雑誌「ビーパル」に投稿していた頃、採用回数が一番多く優勝間近である、ということで同誌の取材を受けた。優勝のあかつきにはライターデビューすることになっていたので、もしそうなったらどんな事についてどんな記事を書きたいのか……みたいなことを取材されたわけだ。写真付きである。
ところが、わたしは頭がオメデタイのでちょっと勘違いをしていた。ライターデビューというぐらいだから半年とか1年の単位で1ページぐらいのスペースがもらえるものだと大いに期待していたのだ。しかし結果は……そう、わたしは見事に勝ちぬきゴールしたが、書かせてもらえたのは1回だけ、そしてスペース的には半ページだった。考えてみれば当たり前だ、素人だもんねえ。
で、その時、獲らぬタヌキの皮算用として密かに暖めていた企画が「今日のオジジイ」なのである。ビーパルの若い編集者は「それ!いいですねえ、おもしろそうですねえ、たくさんたまったら1冊の本になりますねえ」などとおだててくれたけど、あんたも役者やったの〜!(もう退職したらしい)
「オジジイ」はオジサン及びジジイの意味で年齢的に幅をもたせるために今考えついた。もとはただの「今日のジジイ」だった。もしも「オジジイ」が今年の流行語大賞に……んなわけないか。
さて、自分は「糞ジジイ」なので、旅の途中などで純朴というかピュアというか、清々しい「いいオジジイ」に出会うとハッとさせられる。歳をとるってことは本当はいいことなんだなあ、味があるなあ、嬉しくなるなあ、自分はねじれているなあ、と改めて思わせるようなオジジイ達がたくさんいるのだ。
特にスーパーカブであちこち走り回って遊ぶようになってからは、木陰で休んでいるだけで「あんた、こんなチンケなバイクでここまで来たのけ?」と声をかけてもらえるようになったし、サイドに取り付けた塩ビパイプの中身が釣り竿だなんてわかった日には、自慢話をしたくてうずうずしているオジジイ達にとり囲まれたりするのだ。
思えば、わたしは若い頃からジジイにだけはよくもてた。別にもてたくはないのだが「聞き上手」なのかもしれない。留守中に部屋にあがり込んで、お茶を沸かしてわたしの帰りを待っている中島ジジイ(アパートの大家さんなんだけどね)なんてのもいた。彼女が遊びに来ていても平気で長居したりするので、それなりに迷惑だったりもするのだけど、それでもそれほど嫌じゃなかったところをみると、わたし自身が「ジジイ好き」なのかもしれないと思ったりしているのだ。(ちなみに中島ジジイはわたしが引っ越したあとも遊びに来たゾ)
そして自分も彼らと同じぐらいの年齢になった今、一片の言の葉が放つ美しい光を、やっと見ることができるようになった気もするのだ。
ただし、人との出会いはまったく風まかせだから、定期的なページ更新などはむずかしいかも知れない。フフ、転ばぬ先のいい訳ではある。
尚、このコーナーの写真は、撮らせてもらう段階で一応の許可は得てあるものの、肖像権とかプライバシーとかあるので目の辺りに“張り”を入れようかと思ったけれど、そうするとかえって犯人像のようになって意図するものに反してしまうし、またお伝えしたいことの半分も伝わらないような気がして、あえてそのまま出させてもらった。
「勝手に人の顔使うなよ」という方は、ぜひ連絡をください。その節のお礼を今からでも言いたいので。
mk