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93歳はすごいことなのだ! | |||
2016年08月03日(水)「 握りしめるもの 」 母の93歳の誕生日である。気の利いたお菓子とか、花束とかを持って訪ねるのがいいのだろうが、もうボケてしまっているのでそんなもの何の意味も無い。ただどうしたものか“サツマイモ”にだけは反応するらしく、おそらく幼少の頃から嫌になるぐらい食っただろうに、今でも好物なのだという。 朝5時起床。犬散歩他雑用をすべて済まして10時。いずれ豚味噌の会の食遊会で必要になると思っているので大型の“蒸し器”を調達に出かける。調理器具専門のリサイクルショップで当たりをつけてあったのだ。が、わざわざバイクをぶっ飛ばして行ったのに、一昨日売れてしまったのだという。類似のものを勧めてくれたが食指が動かず。“中華蒸し蒸し大会”はしばし見送りだ。 帰宅し、普通サイズの鍋で3回に分けて蒸すことにした。そうそう、サツマイモね。 母と同部屋の人たちやスタッフにもあげるので9本ぐらいは必要なのだ。でかい蒸し器が欲しいのはそういうこと。できれば昼飯前に届けたい。かといって芋の真ん中に芯が残っては男がすたる。焦れメロス!蒸かせオイモ! しかし結局、昼飯には間に合わなかった。母は眠っていた。食後の睡魔に襲われて、というわけではない。最近はいつも眠っているらしい。サツマイモで覚醒するところを見てみたかったが……。 話は変わるが、母はいつも何かを握り締めている。強引にこじ開けようとしても決してその手を開こうとはしない。完全に眠ってしまっても頑なに何かを握り締めている。どこかの、何かの鍵ではないかという邪推をする者もいるが、直接身の回りの世話をしている姉も分らないのだという。実際には何も無いのではないかとわたしは思っているのだが「ジャンケン、ポン」と言っても絶対にパーやチョキは出さないのである。 人は一生頑(かたく)なにその手の中に何かを握り締めていて、死んで、死後硬直して、灰になって、遂には誰にもそれが何だったのか知られることなく次の世界に一人で旅たって行くのだとしたら、なかなかになかなかだなあとわたしは思うのだ。カッコイイ最後だよ。 何もせず、何も言わず、わたしは1時間彼女を見続けていた。母は“生”を握っているように思えた。まだ生きたいと思っているのかも知れない。 ※母の写真を出したことに姉から近々抗議があると思う。まったく分っていない。このリアリティこそが大事なのだ。 |
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