ヒエーッ!
猫牧場で竿振り
06年12月22日(金)「 猫牧場で竿振り 」

 我が家では今猫を飼っているが、わたしはほんとうは犬が好きだ。子供の頃、家にはおふくろの趣味で“スピッツ”がいたがほんとうは雑種犬にして欲しかった。ド田舎で血統書付きの犬を飼うのは当時実に照れ臭く、子供ながら妙に恥ずかしい思いをした。なるべく、なるべく普通でいたいという考え方はこのころ固まったのかも知れない。靴もシャツも新品は目立つので、わざと傷つけたり汚してから身につけたが、かえって目立ってしまったりした。犬の話だった。将来的にもし放し飼いにできる環境が整って、誰かがタダでくれるというのならワガママは言わないが“ビーグル犬”がいい。50cmほどの背丈の枯草の中を白い尻尾の先だけをピロピロと振りながら走りまわるビーグルはたまらなくかわいい。中国人じゃないが食べてしまいたいぐらいだ。そして、飼うならやはり無理にお願いしてでも2匹もらいたい。動物との1対1の信頼関係作りはもちろん憧れだが、彼らの仲間同士のコミュニケーションの様子を観察するのも動物を飼う上での重要な楽しみである。特にわたしは“動物同士の会話同時吹き替え”の天才なので、そのへんの重要度およびお楽しみ度は非常に高い訳である。だから頼むから2匹欲しい。
 ……『わたしは小口径のライフルを担ぎ、晩飯用のウサギを探して2匹のビーグルとゆっくりと歩いて行った。ここでは季節がいつも駆け足で過ぎて行くが、わたしの心は充足しゆったりと歩調に合わせたスピードでその日1日の時の流れを満喫していた。ウサギは獲れても獲れなくても別にかまわないのだ、小屋に戻れば鹿肉も熊肉もたんまり冷凍庫に貯えてある。わたしは道端のワイルド・ブルーベリーを摘みとっては口に運び、2匹の犬に話しかけながらゆっくりと丘を登って小屋へ戻るコースを取った。
「お前たちは生まれた時からすでに、つくづくオヤジ顔だねえ」わたしはブフブフと笑った。2匹ともまだ1歳の若犬であるのにだ。
「よく言うよ、自分だって子供ん時から若年寄顔だったじゃないですか!」ビーグルAがクフクフと笑った。2匹は何事かコソコソとしゃべっていた。
「えー! 暖炉の上の写真は最近のじゃねえのッスか?」ビーグルBは東北出身である。2匹の犬はわたしのことをチビだ、デブだ、ハゲだと散々笑い合ったあと、ドローンとした目でわたしを見た。本当のことだからしかたが無い。さっきからライフルを地面にぶつけてばかりいた。身長は今でも縮み続けている。ヘルニアのせいだ。
「まッ、いいか!」わたしはあきらめ、犬たちと遠い日本を懐かしみながら「オッサンー、あんたが好きだー」と歌った。ここはアラスカなのだ。笑う者はいない。』
 妄想劇場へはスンナリ入れるが、醒めると忌まわしい正反対の現実がいつも待っている。ビーグルの“ビの字”もまわりに有りはしない。それどころか我が家には今、4匹の猫がいる。いや違う、4匹の猫に完全に占拠されているのだ。壁もフスマも布団ももうボロボロだ。わたしと妻は部屋の一角に住まわせてもらっている、といった感である。フルートの練習などしようものなら4匹に襲われてしまうのだ。そんな生活がもう1ヶ月以上続いているのだ。

<ウーロン ♀>
 2004年10月16日に家族にした(参照フィールドノート「烏龍が来た」)。サバトラ模様だが三毛の血が入っているらしく背中に一部黄色い部分がある。母猫からいきなり引き離されたのか、心に深い傷を持っているようだ。眠る前にわたしが10分ほど頭を撫でると、両手で母猫の乳房を押すしぐさをしながら毛布の端を10分間吸っている。必ずそうしてからでないと眠れないのだ。わたしを完全に母親だと思っているらしい。枕元でする、毛布をチューチュー吸う音は実に気持ち悪いがしかたがない。体重5kgにならんとするデブだ。来年はもっとバイクで外に連れ出しダイエットさせねばならない。カヌーにも乗せたい。

<プーリー ♀>
 2005年の7月20日に拾った猫(参照フィールドノート「プーリーが来た」)。通称“サビ”といわれる柄で、様々な血が混じりに混じり柄のどこにもパターンというものが無い。顔もとにかくブサイクだ。同類相哀れむ気分。しかし眼には力がある。固形のキャットフード以外、刺し身もささみも缶詰も食べない経済的なやつだがその分体も小さく異常に臆病。強い警戒心は野良の名残りなのだろう。天変地異があって再度野良に戻るようなことがあれば、意外にこいつが最後まで生き残るような気がしないでもない。機嫌の良し悪しに左右されがちなわたしの本質を見抜いているのでわたしにはあまり近づかない。妻には“ダッコ”をせがむので人間嫌いという訳ではない。

<チョコ  ♂>
 2005年の9月23日、娘が拾った猫(参照フィールドノート「クロマメ」)である 。名前もクロマメからチョコに変わり、姿形もびっくりするほど大きくなった。拾わなければ数時間後には死んでいただろうという思いもあり、わたしはこの子を連れ帰った日のことを思い出す度に涙が出る。重症の慢性猫鼻炎でくしゃみと同時に青鼻汁を飛ばす。ジュウタンが鼻汁の乾いたやつでカパカパになった。さらに眼球とまぶたが1部癒着しているという視覚障害児だがウーロンの行動をまねてわたしに媚を売るという可愛い一面もある。手の平が大きくて子熊のようだ。力も強い。実力がある故の本当の余裕なのか、チョット鈍いのか解らないところが魅力だ。わたしがフルートを練習すると走って見にくる。

<ラテ   ♂>
 詳しいことは分からないが、娘が拾った。4匹の中ではおそらく野良経験が1番長い。筋骨隆々、運動能力抜群の暴れん坊だが涙もろいところがあり、わたしに殴られてよくタンスのうえでくやし涙を流している。うちに来て最初の2日間、物陰に入ったまま出て来ないという“根性のあるところ”を見せたが、たまりかねたのか一瞬だけ出て来て、わたしの布団に一気に小便とうんこを漏らした。その一部始終を見ていたわたしは怒るのを忘れて彼を好きになった。有り余る元気で色々なものを壊したが、命日の前日に義母の骨壷(分骨の)をひっくりかえしたのにはビビッた。実に罰当たりな奴だが、細かい骨を拾いきれず掃除機に吸わせてしまったわたしの方が何倍も罰当たりではある。あれは義母の「私を忘るるべからず」のサインだったのだろう。

 娘が仕事関係で1ヶ月半も大阪に行くことになったのが11月の半ばだった。毎日餌をやりに行ってくれと頼まれたが、そんなかわいそうなことはできない。野良猫ではないのだ。いくら部屋猫とは言っても、そんなに長きにわたって閉じ込めたらストレスで死んでしまう。人間でさえも“閉じこめ”は死の要因になるのだ。昔、むりやり居留置に隔離されたアメリカインディアンに多数の自殺者が出たらしい。彼らの死因は“ホームシック”だったそうだ。ホームシックはれっきとした心の病気である。故郷の山川が恋しくて人は死ぬのである。「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉がある。意味は少し(全然?)違うが動物だって餌だけで生きては行けない。飼われている動物は毎日人間に会いたいのだ。仲間がいるとはいえ、狭い部屋に1ヶ月以上閉じこめるのは虐待である。
 すでにうちにいる2匹とうまくやっていけるかどうかという点に不安はあったが、わたしと妻は娘の猫2匹も我が家に連れてくることにした。4匹とも避妊・虚勢をしてあるので不純異性交遊の心配は無かったが、案の定“なわばり争い”と“優勢順位争い”で2・3日は戦場である。覚悟はしていたが現実を目にするとアタフタしてしまい、わたしも妻も困惑した。普段より贅沢な餌で気を紛らわさせようとしてみたり、“またたび”でごまかそうともしたが結局それらの奪い合いを誘発するなどなかなかうまくはいかないのだった。
 ある日、わたしは釣り竿の穂先に糸を結び、糸の先端に小さなネズミのぬいぐるみを付けたものをこさえた。フライフィッシングの腕前を見せようという訳である。少しでも猫たちのストレス解消になればと始めたのだが、これが効を奏した。にらみ合って動くことのなかった猫たちがいっせいにネズミを追いかけた。遊びに夢中になって何度も猫たちはニアミスを起こしフーフーッと背毛を逆立てたが、嬉しいことに少しずつ少しずつ緊張の糸が解けていくのがわたしには見えた。
「ほーれチョコ、ほーれプースケ、次はラテチャン、ウーロン!ジャンプ!!」などと他愛ない。30分もやっていると多少自己嫌悪になるがそれもまたいいではないか。火事場の便所(ヤケクソ)である。
 個々の性格も大いに関係があるようだった。目に障害のあるチョコがネズミを追う時は、他の3匹は遊びを譲っているようだった。プーリーはチョコを1番の苦手にしているようだったが、そんなことにおかまいなくチョコはズケズケとプーリーに近づいたりした。全員で1つの遊びをするようになってから何かが変化したのは明らかだった。遊びを通して、それぞれが他の猫のそれぞれの力を認識し始めたようだった。運動能力、体力、体格、知恵力、食欲、嗜好なども“力”の範疇に入るのかもしれないなあ、などとわたしは笑いながら考えた。なかなかに奥深い。
 何日かすると色々な意味で落ち着くものが落ち着くべきところに落ち着いてきたような雰囲気が出来てきた。妻は餌をくれる人であり、わたしは竿を振り回す人というわけである。わたしが帰宅すると4匹は回りに集まり、わたしの竿振りをねだるような目つきで待った。「突然大声を出して怒ったりもするが、竿を振って遊んでいるうちは安心、チョロイおやじだぜまったく」とでも思っているのだろう。一番年上格のウーロンは、ほかほかカーペットの上で足を伸ばしきって寝ているチョコの鼻水だらけの顔を舐めてやったりするようになった。ウーロンは偉い奴だ。さすがに大人である。
 チョコの鼻炎がひどくなり飯を食えなくなったり、ラテが急性胃腸炎になったりしたが、病院の匂いをさせて帰ってきた1匹を他の3匹が代わるがわる心配そうに近づいて見舞う光景を何度か目にした。我が猫牧場はすっかり落ち着くべきところに落ち着いた。

 4匹と一緒に暮らせる日々が残り少なくなってきた。月末には娘が大阪研修から戻ってくる。それはそれで嬉しいし、当然娘には大変だったねとねぎらいの言葉をかけるつもりではいるのだが……。
「4匹とも“飲みもの”の名前だったんだなあ。縁だなあ。このまま4匹の方が幸せかも知れんなあ」
 わたしの“とんでもない考え”を見抜いたのか、コーヒーをすすりながら妻は「ダメよ」と少しうつ向きながら柔らかく言った。




            




mk


ウーロン

プーリー

チョコ

ラテ
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