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ちゃんと実の成る木を植えたい | |||
2016年05月30日(月)「 悩める5月 」 謎の「肘痛」が続いているので利根川に行けないでいる。なので(?)今日は樵(きこり)になることにした。痛さなんて根性で乗り越えれば、直径7〜8Cmの木ぐらい楽々切り倒せるのだ。ぜ〜。 切り倒そうと思っている木は、2015年02月25日のフィールドノート「実生(みしょう)」で書いた“プルーンの種を蒔いた記憶があるし、そう思い込んでもう5年ぐらい育ててきたのに、毎年花は咲くけど一向にプルーンの実を付けない似非プルーン”の木なのである。 今年は例年になくたくさんの花を付け、100個ほどの親指先大の実も成った。花がことのほか綺麗だったので、このまま順調に育ってプルーンが1個でも成ってくれれば良しとしよう、この先もこのまま植えておいてやろうとは思っていたのである。 ところがである、4月の後半ぐらいから実はボタボタ落ち始め、同時期に発生したアブラムシが葉先をチリチリに巻き縮ませてその中に200匹ぐらいずつ固まって潜んでいるのだ。その光景は寒気がするほどおぞましく、その下にしばしでも佇もうものなら、奴らの小便なのだろうか脂汗なのだろうか、粘り気のある霧状のものがチリチリチリチリと降ってくるのである。 洗濯ものについたシミを見て妻は卒倒し、ベタベタネチネチになったバイクカバーを触って、わたしは生きる希望を失うのであった。 職場の上司に土屋副将軍という方がいるが、その奥方の「女の英断」というものに、最近わたしはうなってしまった。 新築祝いに植えたリンゴの木が3mにもなっていたという。が、10年ほども経つというのに、それまでたった1輪の花もたった1粒の実も付けたことがなかったらしい。 彼女は何事かを悟り、怒り、そして夫の留守中にあっさりとその木を切り倒してしまったというのである。女というものは実に決断が早い。これもまた女の“思い出を削除できる力”の証であろうか。 わたしは似非プルーンの木の前に正座し襟を正して俳句(?)を詠んで気持ちを伝えるのである。 『 いつまでも あると思うな おれの愛 』 常日頃言っている通り、わたしは樹木に対してただならぬ霊感を感じられるのだ。木々の思いがわかるのである。守ってあげるべきわたしが、今自身の手で切り倒そうとしているのである。 逃がしてあげたいがそういう訳にもいかない。わたしは苦悩しながらさらに話しかけた。 「お前は一体何なんだ? 5、6粒残っているその青い実をプルーンにしてみせることはできないのか? 考え直すことはできないのか?」 しかしながら実を結ばない果樹の思いは、なかなかその口から語られるれることはないのだ。 勤務先の庭で実った枇杷の実を、職員の方から頂いた。気に入ったならいくらでも採っていいという。わたしは礼を言い、休憩時間に世界一贅沢な“一人ビワ狩り”を楽しんだ。枇杷というものをこんなに食ったのは、おそらく初めてだろう。初夏の味だ。実ってこその命ではないか。 似非プルーンの処遇についてわたしはまだ悩んでいる。来年こそは結実するかもしれない。いやいや甘い期待は断ち切ってしまおう、バカバカしい。後釜のことを考える方が得策というものだ。枇杷にするかリンゴにするか、梨にするか桃にするか……。挙句の果てに立ち寄った園芸店で、衝動的に「ナポレオン」という名のサクランボを買ってしまった。 そして……それでもまだ悩んでいる。なので……今日はやっぱり樵(きこり)にはなれなかった。代わりに肩がこりこりである。 |
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