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一人でやるからいいのだよ | |||
2016年04月09日(土)「 滑河から香取まで 」 面倒になると写真の数を増やして誤魔化すのがわたしの常套手段である。今回は上の19枚の写真を時間通りに並べてあるので、あなたも漕いでる気分になれる……かもしれない。 予定どおり滑河(なめがわ)から香取まで利根川をくだってきた。カヌーをキャリーに積んで電車で行くという“正当フォールディングカヤック”である。 漕ぎ出した地点に戻らなくていい、というのがこんなにも気が楽なものかと感動した。一度見た景色をもう一度見ながら戻るというのは実に苦痛である。流転とはいい言葉である、流されるままの旅人になった気分だ。 春だから多少の風は必ずあるのだが、今日ははなから若干強めの風。水面をすべるようにとはいかない。乗ったことは無いが象に乗っている感じの上下の揺れ。4.8mもある大きな舟なので、特に風の影響を受けやすい。 一時間も漕ぐと興奮も感動も無くなり、すっかり退屈になる。しかしここでしか、これでしか得られない幸せな退屈である。概ね時速4Kmぐらい、歩くスピードよりちょっと遅い。 上陸予定地の1Kmほど手前で突然強風が吹き始めた。三角波まではいかないがかなりうねり始めた。時々白波が立っている。たいがいの場合、風と波に対してカヌーを直角に保ち、少しずつ少しずつでも進んでいけば必ず突破口を見出せるものなのだ。が、今日はそれすらも不可能であった。カヌーの向きを修正できないまま対岸に吹き寄せられた。わたしは久しぶりに卑小感を味わった。いいことである。 波(水)がゴンゴンカヌーの中に入ってしまうので、対岸に取り付いて風と波が収まるのを少し待つことにした。真剣にモーターボートに対岸まで曳いてもらうことも考えた。が、そういう時はエンジン野郎は来ないのだ。 安全パイの対岸上陸・打ち切りも考えたが、イバラがすごくてカヌーを引いて行けそうにない。底が穴だらけになってジャンクになるだろう。 しかし判断は正しかったようである。40分ほど待ち、風が一瞬弱まったのを機に大回りし、一挙に力勝負をかけて脱出した。転覆しなかっただけマシというものである。 不思議なのが、必死で漕いでいた間中、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」が頭の中で鳴り響いていたことだ。 「♪冷たくなったわたしを見つめてあの人は〜 ♪涙をながしてくれるでしょうか〜」という歌詞が関係があるのかないのか、まったくわからない。 上陸した直後「もうしばらくカヌーはいいや」という気分に初めてなった。体中がきしんで音がしていた。しかし帰路の電車の心地よい揺れに身を任せながら、今日持ってくればよかった物のチェックメモを取っている自分に気づくのである。 「香取から椎柴まで」はいつになるのか、まだまったくの未定である。 < 今日持ってくれば良かったもの > @パウチした川地図(スマホの地図やナビは意外と役にたたない) A双眼鏡 B丈夫な傘(追風の時、帆掛け舟になる。距離は稼げる時いっきに稼ぐべし) C岸引き寄せ棒(棒の先にフックをつけたもの。上陸の際、草木にフックをかけて岸を引き寄せる。わたしの発明品) D水と食料、特にチョコレートなどの高カロリー甘味菓子(成田線の駅近辺にはどこもコンビニも、売店もない。空腹で死にそうだった) 他にも思いついたら追加します。 |
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