「 音叉となぎら健一 」

  友達と銭湯に行き、仲良く隣りあわせで鏡の前に座った。その友達が湯舟から戻って来て、まだ隣に立っている内に悪ふざけのつもりで石鹸をつけた指をその友達の肛門にブスリと挿してしまった。ところがそれは友達ではなくて、背中に見事な刺青を背負ったヤーさんだった。普通なら謝っても殺されるところだろうが、アホ〜の真似をしてその場を切り抜けた。ヤーさんは「 なんだ、アホ〜かい 」と言い、舌打ちしながら去って行った。……と、そんな話を聞き、すぐに、わたしはなぎら健一さんを大好きになってしまった。
  なぎらさんといえば、最近ではまったくもってすっかりバラエティーの人のように扱われているけれど、実は甘い声の天才的なシンガーなのだ。ただちょっと古いパターンのフォーク系の歌が多いので今受けはしない。
  わたし自身は「シティ・ポップス系ニュー・ミュージック」的な扱いを受けていたけれど、元々は岡林信康や高田渡、加川良なんて人たちから影響を受けたので、なぎら健一さんの歌も心に響いてくるものを感じる。
「 悲惨な戦い 」(若秩父という力士のまわしが取り組み中に土俵の上でほどけていく様を歌った名曲)や「一本でもニンジン」(御存じ“泳げたいやきくん”のB面なのだ)といったちょっとコミック調の曲が売れてしまった弊害だ。
  そんななぎらさんとは学園祭で何回か御一緒させてもらった。もともと気さくな方であったし、ユイ音楽工房になぎらさんも知りあいが多かったらしく、わたしにもついでに声をかけてくれたのだろう、と思う。
  どこかの学園祭で楽屋も一緒だったことがあって、その折“音叉”を忘れてしまったとかで貸してほしいと言われた。巨匠なぎらに音叉を貸す名誉、わたしは喜んで御貸しいたしましたね。
  音叉を手に、真剣にチューニングをするなぎらさんは実にミュージシャンでかっこよかった。で、ステージも見させていただこう、歌も拝聴させていただこうと上手袖で見ていると、なぎらさんはステージへ出た途端に豹変してしまった。コミックの人になってしまったのだ。まじめに歌を歌うことを客の方が許してくれないのだ。
  国士館大学の学園祭などでは、ステージの一番前に応援団の連中が陣取っていて、まともに歌などを歌っていると「 つまらんぞ、笑わせろよ、なぎら 〜」などと野次られて困った、と聞いた。
「 花の応援団 」という人気マンガが映画化され、その中でなぎらさんは「薬知寺先輩」という役をこなし、それが当たり役となりイメージを固められてしまったようだ。かな?
  少し悲しい気がしないでもなかったが、人はどんな形でも売れたほうがいいに決まっているから、これでいいんだろうな、と思いつつ音叉で真剣にギターの調音をするなぎらさんの姿を懐かしむのである。
  その音叉だけど……、なぜか返してもらった記憶がない。たかが音叉、されど音叉。アホーの真似をしながらギターケースの中にしまったのだろうか。
  返してもらっていない……といえば……急に思い出した。沖縄でリリィに貸した¥1000も返してもらえなかった。ケチくせえなわたしって。