これは中年おやじの単なる自慢話なのだけれど、20年前ぼくはプロのシンガーソングライターだったのだ。
アルバムもシングルも何枚か出したのだ。CDじゃなくてレコード盤ってところが笑えるところではあるけれど、一丁前に雑誌の取材なんかも受けたことがあるのだ。
「無人島に1枚だけ持って行きたいレコードは?」なんて聞かれて「無人島には電気が無いからレコードは持っていかない」などと生意気だったのだ。バカ造だったりもした。
そんな息子の記事を見る度に、田舎の父と母は相当に恥ずかしい思いをしたのだった。そのくせ息子がやっていた深夜ラジオのDJを毎週録音して、黙ってじっと聴き返していたりもしたらしい。
鹿児島の実家には、太い幹の大きな「時計草」の木があった。
父は実をもぎ、母はそれを絞ってジュースにし、帰省した息子夫婦と孫にふるまった。
「溶け〜そう(時計草)な味?」父の駄洒落は少しも面白くなかったけれど、いくつもの幸せな”みんなの夏”が通り過ぎて行った。
「年に夏が2度あればなあ」と父は言った。
浮草稼業の息子も嫁いだ娘も、2度と故郷に帰ってこないことを悟った老夫婦は、住み慣れた家を売り払い関東に移り住むという辛い決心をしたのだった。後に住む人のためと思いを残さぬために庭木もすべて切ってしまったのだ。
小さな茶色のガラス瓶には100粒ほどの、あの「時計草」の種が詰まっている。遠い夏の日の幸せな思い出の数なのだ。
ぼくはこの種を蒔く場所を何年も探し続けてきたような気がする。
そこがぼくの新しい故郷……そんな若造なことはもう言わないけれど、無人島に持って行くならこれがいいな、とは思うのだ。
父は天国から微笑んでくれるだろうか。 |